ルーヴル美術館展 ルネサンス
Masterpieces of the Renaissance from the Musée du Louvre
~
- 開催中
- 企画展

15世紀から16世紀にかけてヨーロッパ各地で隆盛を極めたルネサンス美術。本展は、ルーヴル美術館の膨大なコレクションから選び抜かれた50点余りの作品を通して、この豊かで複雑な芸術動向の本質をなす、いくつかの特徴に光を当てます。
ルネサンス期の人々は、キリスト教が広まる前の、人間の主体性がより重視された古代ギリシア・ローマの文化に再び価値を見いだしました。このたび初来日するレオナルド・ダ・ヴィンチの《女性の肖像》、通称《美しきフェロニエール》は、人間の個性への関心が高まった時代であるルネサンスの肖像芸術の傑作です。レオナルドは、人物の外見の特徴をとらえるだけでなく、その内面に潜む複雑な感情を描き出すという難問に挑み続けた芸術家でした。
本展では、まさにルネサンスを象徴する人であるレオナルド・ダ・ヴィンチから導き出した4つのテーマ ——旅、技法の革新と洗練、古代へのまなざし、肖像芸術の隆盛—— に基づいて、絵画から彫刻、版画、素描、工芸まで、多彩な作品を紹介します。ルネサンス美術の真髄に触れる貴重な機会となるでしょう。
レオナルド・ダ・ヴィンチ |
開催概要
- 会期
-
~
休館日:毎週火曜日
※ただし9月22日(火・祝)、11月3日(火・祝)、12月8日(火)は開館、11月4日(水)は休館 - 開館時間
10:00~18:00
※毎週金・土曜日は20:00まで
※入場は閉館の30分前まで- 会場
-
国立新美術館 企画展示室1E
〒106-8558 東京都港区六本木7-22-2 - 主催
国立新美術館、ルーヴル美術館、日本テレビ放送網、読売新聞社、BS日テレ
後援
在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ特別協賛
野村證券協賛
光村印刷、竹中工務店、ヴァシュロン・コンスタンタン、日本郵政協力
日本航空、エールフランス航空、KLMオランダ航空、日本貨物航空、日本通運、TOKYO FM、日テレイベンツ企画協力
NTVヨーロッパ- お問い合わせ
050-5541-8600(ハローダイヤル)
チケット・観覧料
| 前売 | 2,200円(一般)、1,300円(大学生)、900円(高校生) |
|---|---|
| 当日 | 2,400円(一般)、1,400円(大学生)、1,000円(高校生) |
チケット取扱い
・前売券
販売期間:6月18日(木)~9月8日(火)ただし、国立新美術館では9月7日(月)まで
販売サイト(オンライン):アソビュー!、日テレゼロチケ、ローソンチケット
窓口販売:国立新美術館 中央インフォメーション(開館日のみ)
・当日券
販売期間:9月9日(水)~12月6日(日)
販売サイト(オンライン):アソビュー!、日テレゼロチケ、ローソンチケット
窓口販売:国立新美術館 チケット売り場(開館日のみ)
※国立新美術館の窓口販売は、当日のみ利用可能なチケットを販売
オンラインチケットを購入
アソビュー ※手数料なし
日テレゼロチケ ※コンビニ発券必要 ※手数料なし
ローソンチケット (Lコード:91857)※コンビニ発券必要 ※手数料あり
- 中学生以下、障害者手帳等をお持ちの方とその付添者1名は無料です。入場の際に、それぞれ生徒手帳等の年齢が確認できるもの、または障害者手帳等をご提示ください。
- 10月1日(木)~10月14日(水)は高校生無料観覧日です。入場の際に学生証をご提示ください。
- 国立新美術館キャンパスメンバーズ加盟の大学等の学生・教職員は本展覧会を学生1,200円、教職員2,200円でご覧いただけます。国立新美術館チケット売場でキャンパスメンバーズ会員であることを申し出のうえ、学生証または教職員証をご提示ください。
- 学校等の教育活動でご来館の場合は、学校の来館に関するご案内をご覧ください。
- 会期中に国立新美術館で開催中の他の企画展・公募展のチケット、またはサントリー美術館および森美術館(あとろ割対象)で開催中の展覧会チケット(半券可)を国立新美術館チケット売場でご提示いただくと、本展覧会のチケットを100円引きでご購入いただけます。
- 割引の詳細については、お得な情報をご覧ください。
- 学生券をご購入の際および学生券でご入場の際は、学生証等をご提示ください。ご提示がない場合は、一般料金をお支払いいただく場合があります。
- 国立新美術館チケット売場でのチケット購入には次のクレジットカードと電子マネー等がご利用いただけます。
クレジットカード:MasterCard、VISA、JCB、AMEX、Diners Club、DISCOVER、銀聯
電子マネー:交通系IC、QUICPay、楽天Edy、WAON、nanaco、iD
QR決済:auPay、BankPay、AliPay、WeChat Pay、PayPay、d払い、ゆうちょPay
作品リスト
ジュニアガイド

執筆・イラスト:
壺屋めり(つぼや めり)
西洋美術史研究者。ニューヨーク大学で美術史を学んだのち、京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。博士(人間・環境学)。現在は名古屋工業大学工学研究科准教授として美学・美術史を教えている。最近バードウォッチングにハマり、絵に描かれた鳥にも口うるさくなった。主な著者に『ルネサンスの世渡り術』(芸術新聞社)、『みるみるわかる「西洋絵画の見方」』(小学館)。
デザイン:松永路
編集:国立新美術館
展示構成
I. 旅
本展が対象とする15世紀から16世紀にかけてのルネサンス期は、ヨーロッパの人々が「旅」を通じて既知のものとは異なる世界を発見していった時代でした。商業、交易、外交、戦争、キリスト教の布教、名所旧跡巡り——旅の動機は様々でしたが、人と物の活発な往来は国や都市に経済発展と異文化交流をもたらし、ルネサンス文化を大きく開花させる動力となりました。
この時代の人文学の発展を先導したエラスムス、モンテーニュなど、人文主義者たちの多くは、好奇心の赴くままにヨーロッパ各地を巡り、異国の地で出会った風習や伝統についての思索を生き生きと書き綴っています。芸術家たちもまた、技量を磨くためにしばしば故郷を離れました。ヨーロッパ北部の芸術家たちは、アルプス山脈を越えてイタリアに赴き、古代遺跡や彫刻を素描するとともに、同時代のイタリア美術における均整のとれた身体描写や一点透視遠近法を用いた空間表現を学びました。一方、イタリアの画家たちは、北方の画家たちの油彩技法や緻密な写実描写を取り入れていきます。また、王侯貴族や教皇といったパトロンからの招きに応じるため、あるいは戦禍を逃れるためなど様々な外的要因によっても、芸術家たちは国境を越えて移動するようになり、これが様式・技法の伝播を促しました。
国王や皇帝が広大な領土を治めるために頻繁に移動したことも、この時代の特徴です。たとえばフランスの国王は、家族と家臣を引き連れながら領内各地の城館を転々としていました。こうした宮廷の習慣は、壁にかけて冷気を遮ることができ、部屋の仕切りにも使えた実用的な装飾品であるタペストリーや、衣類などを収納する長持など、持ち運べる豪華な調度品の発展を後押ししました。また、君主たちが都市に入る時の祝典(入市式)の記念として、しばしば彼らや妃の横顔を彫ったメダルが制作されたことも、ルネサンスのメダル芸術の洗練を促した一因として特筆されます。
|
ヴェネツィアの画家 《ヴェネツィア共和国の使節団を迎えるダマスクス総督》 |

アルブレヒト・デューラー 《サイ》
1515年(初版) 木版 24.5 × 30.2 cm
パリ、ルーヴル美術館
Photo © GrandPalaisRmn (musée du Louvre) / Michel Urtado / distributed by AMF-DNPartcom

ヤン・ファン・スコーレル 《32歳の男性の肖像》
1521年 油彩/板(ポプラ) 51 × 43 cm
パリ、ルーヴル美術館
Photo © GrandPalaisRmn (musée du Louvre) / Gabriel De Carvalho / distributed by AMF-DNPartcom

エル・グレコ 《アントニオ・デ・コバルビアス・イ・レイバ(1524–1602年)の肖像》
1597–1600年頃 油彩/カンヴァス 68 × 58 cm
パリ、ルーヴル美術館
Photo © GrandPalaisRmn (musée du Louvre) / Mathieu Rabeau / distributed by AMF-DNPartcom

南ネーデルラント(?) 《田園の合奏》
16世紀第1四半期 羊毛、絹 272 × 212 cm
パリ、ルーヴル美術館
Photo © Musée du Louvre, Dist. GrandPalaisRmn / Philippe Fuzeau / distributed by AMF-DNPartcom
II. 技法の革新と洗練
ルネサンスの芸術の展開は、技法の革新と表裏一体でした。ヨーロッパ北部では、油彩技法の発明に加えて、時計製造と版画芸術にも技術革新が起こりました。15世紀にぜんまいが開発されたことで、機械装置の小型化が可能になり、携帯できる懐中時計が作られるようになります。版画芸術では、15世紀半ばにドイツで確立された活版印刷術が、木版画の新たな流行をもたらしました。同じくドイツで誕生し、ヨーロッパに広まった銅版画は、絵画や彫刻の複製に用いられるだけでなく、木版画とともに、自立した一つの芸術形式とみなされるようになりました。
一枚の原版から何枚もの作品を刷ることができる版画は、芸術家たちの構想を広く伝えるメディアとなり、陶器やエマイユ画など、他の技法による作品の表現にも影響を及ぼすようになります。16世紀イタリアの版画家マルカントニオ・ライモンディが、ラファエロの原作に基づき制作した版画の図像は、イタリアのマヨリカ陶器の絵柄に盛んに転用されました。素焼きした陶器に白色の錫釉(すずゆう)を施し、顔料で絵付けをして焼成するマヨリカ陶器は、絵画に匹敵する鮮やかな色合いを実現できる技法でした。同様の特徴は、フランス中部のリモージュで発展したエマイユ画(七宝)にも当てはまります。エマイユは、銅などの金属にガラス質の釉薬で絵付けを施し、焼成するという技法です。リモージュの卓越したエマイユ画家、ピエール・クルテの作品には、しばしばライモンディの版画からの図像の借用が見いだされます。
フランスでは16世紀後半にひときわ独創的な技法が生まれました。陶工ベルナール・パリシーが開発した「田園風陶法」です。パリシーは、実際の動植物から取った型を用いて、実物そっくりの生々しい装飾を陶器に施すことに成功しました。本展では、その特異な技法を継承した工房の作品を紹介します。
型取りの技はブロンズ像の鋳造にも不可欠なものでした。蝋(ろう)で作った原型の周りを石膏で覆い固めたのち、その中の蝋を溶かして除去し、できた空洞にブロンズを流し入れることによって原型と同じ形の彫像を得る「ロストワックス鋳造法」は、ルネサンス期に復活した技法です。これにより、大小様々なサイズのブロンズ作品の制作が可能になりました。
|
マルカントニオ・ライモンディ、ラファエロ・サンツィオの原作に基づく《パリスの審判》 |

ピエール・クルテ《中央に突起のある丸皿「大地と海」》
1568年 エマイユ画/銅 高さ6.5 cm 直径52.5 cm
パリ、ルーヴル美術館
Photo © GrandPalaisRmn (musée du Louvre) / Sylvie Chan-Liat / distributed by AMF-DNPartcom

フランス、おそらくパリ《「田園風陶法」による楕円水盤》
1600–1650年 施釉テラコッタ 高さ7.5 cm 幅54 cm 奥行41 cm
パリ、ルーヴル美術館
Photo © GrandPalaisRmn (musée du Louvre) / Martine Beck-Coppola / distributed by AMF-DNPartcom
III. 古代へのまなざし
ルネサンスにおける古代復興、すなわち古代ギリシア・ローマの文化を規範として再評価する動きは人文学の分野で始まり、次第に芸術にも広まりました。人文主義者たちは古代の重要文献の写本を研究し、それらに注釈をつけたものを出版しました。なかでも、視覚芸術の展開に大きな役割を果たした著作の一つが、古代ローマの詩人オウィディウスの『変身物語』です。ギリシア・ローマ神話の様々な物語を集めたこのラテン語の叙事詩は、ルネサンス期に様々な言語に翻訳され、各国で出版されました。芸術家たちは、こうした古代神話のテキストと、それらに添えられた版画挿絵も着想源にしながら、人間味あふれる古代の神々の物語場面を絵画や彫刻に表現しました。
古代の文献だけでなく、建築や彫刻も、ルネサンスの芸術家たちが手本として学ぶべき対象でした。彼らは古代遺跡が残るローマを訪れ、凱旋門などの建築に残るレリーフや、神々を表した大理石彫像を素描することによって、古代の図像や人体の造形表現を研究しました。イタリアに赴くことができない芸術家たちも、版画や石膏像などの複製を介して古代美術を参照していました。
15世紀後半になると遺跡の発掘が盛んになり、古代ブームがいっそう高まるなかで、各国の王侯貴族は、古代彫刻を縮小した複製品の収集を通して、自身のコレクションの価値を高めようと試みます。これに伴い、ルネサンスの芸術家たちが復活させたのが、ブロンズ芸術でした。蝋で作った原型を用いるロストワックス鋳造法は古代にすでに確立されていましたが、中世の時代に古代のブロンズ像の多くが武器に流用するために溶かされてしまい、技法自体もすたれていたのです。ルネサンスの彫刻家たちはこの技法に再び習熟することによって、大規模な彫像から、小像、装飾板やメダルに至るまで、多種多様なブロンズ作品を世に送り出しました。
|
ジェルマン・ピロンの工房《シャルル9世の騎馬像》 |

サンドロ・ボッティチェリ《5人の天使に囲まれる聖母子》
1470年頃 テンペラ/板(ポプラ) 58.5 × 40.7 cm
パリ、ルーヴル美術館
Photo © GrandPalaisRmn (musée du Louvre) / Gabriel De Carvalho / distributed by AMF-DNPartcom

ルカス・クラーナハ(父)《三美神》
1531年 油彩/板(ブナ) 36.5 × 24.4 cm
パリ、ルーヴル美術館
Photo © GrandPalaisRmn (musée du Louvre) / Mathieu Rabeau / distributed by AMF-DNPartcom
IV. 肖像芸術の隆盛
中世と同様にルネサンス期においても、キリスト教の信仰は人々の日常生活の拠り所でした。しかし、神が創造した世界のなかに、意志を有する人間の存在をどう位置づけるべきか、人文主義者たちが考察を深めるにつれて、身体的にも内面的にも固有の特性を備えた「個人」という概念が形作られていきます。ルネサンス期に伝記や回想録、旅行記といった著作が格段に増加した現象は、この時代の個人に対するまなざしの変容をよく物語っています。
こうした流れのなかで大きく花開いたのが、肖像芸術でした。外見の特徴から内面の性格まで、一人の人間の個性を絵画や彫刻として永遠に留める肖像は、当初は王侯貴族や高位聖職者など支配階級のための芸術ジャンルでしたが、時代が下るにつれて、知識人や富裕市民など中産階級の人々にも広まっていきます。男性、もしくはその妻と家族をともに描いた肖像画は、モデルの社会的功績を記念するために描かれることが多く、服装や持ち物、周りの環境などの描写を通じて職業や地位が示唆されました。一方、女性の肖像はしばしば、婚約者に送るため、あるいは結婚の記念として描かれました。また、当初は家族の一員として描かれていた子どもも、次第に単身で肖像に表されるようになります。
肖像画の形式に大きな革新が起こったことも、この時代の特徴です。北方、特にフランドルの画家たちは「四分の三正面観」、すなわち画面に対し人物を斜めに配する肖像形式を発展させました。当初、その背景は暗いグレーや黒のモノトーンで仕上げられていましたが、次第に風景が描かれ、空間の奥行が表現されるようになります。この新たな形式は15世紀後半からイタリアに普及し、それまで一般的だった横顔の肖像形式に代わって、広く用いられるようになりました。
15世紀後半から16世紀にかけて、芸術家たちは、人物の容貌や身体的特徴の的確な描写を通じて、その内面に潜む心理や感情を表現することに、ますます重点を置くようになります。レオナルド・ダ・ヴィンチやティツィアーノなど、肖像芸術に卓越した芸術家たちは、モデルの動作や視線の向きなどを巧みに操作しながら、その似姿に命を吹き込みました。

バロンチェッリの肖像の画家《ジャコモ・ディ・ジョヴァンニ・ダントニオ・ロイアーニの肖像(?)》
1498–1499年頃 銀筆/青色の下地を施した紙 14.1 × 9.9 cm
パリ、ルーヴル美術館
Photo © GrandPalaisRmn (musée du Louvre) / Thierry Le Mage / distributed by AMF-DNPartcom

バッチョ・バンディネッリに帰属《ミケランジェロの肖像》
1522年頃 油彩/板(ポプラ) 49 × 36 cm
パリ、ルーヴル美術館
Photo © GrandPalaisRmn (musée du Louvre) / Gérard Blot / distributed by AMF-DNPartcom

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《フランソワ1世の肖像》
1538年頃 油彩/カンヴァス 109 × 89 cm
パリ、ルーヴル美術館
Photo © GrandPalaisRmn (musée du Louvre) / Philippe Fuzeau / distributed by AMF-DNPartcom

ロンバルディアの画家《女性の肖像》、通称《美しきフェロニエール》
1500–1512年頃 油彩/板(クルミ) 49 × 35 cm
パリ、ルーヴル美術館
Photo © GrandPalaisRmn (musée du Louvre) / Franck Raux / distributed by AMF-DNPartcom

ジャン・クリストフォロ・ロマーノ(本名ジャン・クリストフォロ・ガンティ)《ベアトリーチェ・デステ》
1490–1491年頃 大理石 高さ59.5 cm 幅30 cm 奥行24.3 cm
パリ、ルーヴル美術館
Photo © GrandPalaisRmn (musée du Louvre) / Stéphane Maréchalle / distributed by AMF-DNPartcom

レオナルド・ダ・ヴィンチ《女性の肖像》、誤って付された別称《美しきフェロニエール》
1490–1497年頃 油彩/板(クルミ) 63.5 × 44.5 cm
パリ、ルーヴル美術館
© GrandPalaisRmn (musée du Louvre) / Michel Urtado
レオナルド・ダ・ヴィンチ 《美しきフェロニエール》
制作時期と表現上の特徴
レオナルド・ダ・ヴィンチは1482年、30歳の時に、ミラノ公国で実権を握っていたルドヴィコ・スフォルツァ(1452–1508年)に仕えるためにミラノに移り住み、1499年まで当地で活動しました。今日《美しきフェロニエール》の通称で知られる《女性の肖像》は、ミラノ時代の後半に描かれたものと推測されています。当時ミラノでは、まだ横顔の肖像形式が主流でしたが、レオナルドは北ヨーロッパ、特にネーデルラントの画家たちが発展させた四分の三正面観を用いました。
女性の姿勢に注目してみると、レオナルドならではの工夫が認められます。レオナルドは、女性の頭と体が同じ方向ではなく、ごくわずかに反対を向くように描いているのです。2014–2015年に行われた科学調査では、レオナルドはこの作品の制作過程で、女性の頭と体がそれぞれ逆を向く動きが強まるように、後頭部、背中、首の輪郭をわずかに修正したことが分かりました。これにより、女性が今まさにこちらを向きかけているかのような動きの感覚が強まり、生命感がより高められたと考えられます。また、レオナルドが女性の右目の瞳の位置をほんの少しずらしたことも判明しました。その結果、女性の視線のゆくえがより曖昧になったのではないかと考えられます。彼女は私たちを見返しているようで、私たちの右側か背後を見ているようでもあり、どのような感情を抱いているのか察しがたく感じられます。
ルネサンスの美術理論家や芸術家たちは、人物の表情や動作を通して内面の感情が伝わるように描くことを最も重視しており、特にレオナルドはこの難題に真剣に取り組んでいました。《美しきフェロニエール》では、レオナルドは女性の頭、体、視線の向きを入念に操作することで、絶えず変化する人間の複雑な心の動きを描き留めようとしたのかもしれません。
「美しきフェロニエール」とは?
「美しきフェロニエール」はフランス国王フランソワ1世(在位1515–1547年)の愛妾で、王の死の要因になったと伝えられる女性です。しかし、彼女らしき人物が史料に現れたのは17世紀初め、つまり1547年の王の死から半世紀以上も後のことでした。19世紀までは実在の人物とみなされていましたが、今日の歴史学では、王の死後に次第に作り上げられた架空の人物と考えられています。
フランス王家のコレクションのなかで、17世紀から18世紀を通じて「美しきフェロニエール」と呼ばれていた絵画は、当時はレオナルド作とされ、現在はロンバルディアの画家に帰属される、横顔の《女性の肖像》(本展出品番号 cat. 51)でした。しかし、フランス革命を経て、18世紀末に王室コレクションがルーヴル美術館に移管された頃、両作品の混同が生じ、レオナルドによる四分の三正面観の《女性の肖像》が誤って「美しきフェロニエール」と称され、次第に通称として定着したのです。
この誤った呼称を広めるきっかけの一つになったのが、19世紀初めに制作された銅版画でした。のちに新古典主義の巨匠となるジャン・オーギュスト・ドミニク・アングルがレオナルドの女性肖像画を素描し、それに基づいて版画家ルフェーヴルが制作したこの銅版画には、「美しきフェロニエール フランソワ1世の愛妾」と、誤った銘文が添えられていました。
モデルは誰なのか?
レオナルドの《美しきフェロニエール》に触れた最古の史料は、フォンテーヌブロー城のフランス王家所有の美術品について記した1642年の書物です(Pierre Dan, Le Trésor des merveilles de la Maison Royale de Fontainebleau, Paris, Sébastien Cramoisy, 1642, p. 135)。そこではこの絵は、レオナルドによる「マントヴァの公爵夫人の肖像」と記されていました。以降の文献では「女性の肖像」と記述されることがほとんどでしたが、18世紀末に初めて、ミラノ公ルドヴィコ・スフォルツァの愛妾、ルクレツィア・クリヴェッリ(1464–1534年)をモデルとする見解が現れました。彼女はルドヴィコの妻ベアトリーチェ・デステの侍女で、ルドヴィコから見初められて愛妾となった女性です。レオナルドがルドヴィコのために「ルクレツィア」という名の女性の肖像を描いたことが、同時代のイタリアの詩人アントニオ・テバルデオ(1463–1537年)の詩にうたわれており、これがルクレツィア・クリヴェッリをモデルとみなす根拠の一つとなっています。
テバルデオは、肖像に描かれたルクレツィアの魂はミラノ公ルドヴィコだけのものだとうたっています。もし、《美しきフェロニエール》のモデルがルクレツィア・クリヴェッリであるなら、私たちを見返しているようで、そうではないようにも見える彼女のまなざしは、ルドヴィコただ一人に向けられているのかもしれません。前景に配された石の欄干も、ルドヴィコ以外の鑑賞者に、彼女には近寄りがたいと感じさせるための工夫だったのかもしれません。
ルドヴィコの一代前のミラノ公の妃イザベッラ・ダラゴーナ、あるいはベアトリーチェ・デステなど、他の女性もモデル候補に挙げられてきましたが、いずれも決定的な証拠はなく、現在、研究者の多くはルクレツィア・クリヴェッリを支持しています。
ファッションの特徴
レオナルドの《美しきフェロニエール》における女性の髪型や服装は、1490年代にミラノやマントヴァなど北イタリアで流行したものです。額の中央で分けた長い髪を後ろで一つにまとめる髪型、後頭部にかぶったボンネット、額から頭に巻いた細い飾り紐は、本展に出品されるミラノ公妃ベアトリーチェ・デステの彫刻(本展出品番号 cat. 52)や、マントヴァやミラノの貴婦人たちを表したメダルや絵画(本展出品番号 cat. 53、55)にも見られます。また、四角い形の襟ぐりと、胴衣にリボンで袖を結び付け、肩口の隙間から白いブラウスをのぞかせるスタイルも、同様に北イタリアの流行を反映しています。
額の中央に一粒の宝石をあしらった飾り紐は、15世紀末のイタリアでは「レンツァ」と呼ばれていましたが、次第にすたれました。しかし、レオナルドの絵画が19世紀初めに「美しきフェロニエール」と誤って呼ばれ、有名になるにつれて、このアクセサリーがフランスの女性たちの間で再び流行し、1830年代には「フェロニエール」と呼ばれるようになりました。
関連図書
企画展に関する当館所蔵資料のリストをOPACでご紹介しています。
現在の特集展示のリストはこちら。
これらの資料は3階アートライブラリーでもご覧いただけます。
アートライブラリー利用案内はこちら。



