岡本太郎は、18歳の時に東京美術学校(現・東京芸術大学)を中退し、両親の渡欧についてパリに渡りました。20代を過ごしたパリでは、現地で抽象芸術グループ「アプストラクシオン・クレアシオン」に最年少で加わり、バタイユの主宰する「アセファル」にも参加するなど、先鋭的な芸術や思想的なグループで交流を深めます。
帰国後の兵役を経て、戦後の東京で前衛芸術運動を展開する皮切りとなった「夜の会」は、花田清輝ら文学者たちとの活動です。ここからさまざまな芸術運動が生まれ、作家たちが集う場となりました。岡本太郎はジャンルを横断する自由闊達な活躍で、生涯弟子などを取らず、群れることを嫌った孤高のアーティストという横顔もありますが、それぞれの時代をみていくと多くの芸術家や作家、思想家から触発され、そうした仲間たちとの交流や繋がりの中で、作品が生まれてきた側面もまた強いでしょう。
当館コレクションより、岡本太郎と、交流のあった同時代の作家たちの活動の一端をご紹介します。