平野杏子(1930- )は現在の神奈川県伊勢原市に生まれました。1961年三岸節子に師事します。同年、第6回新世紀美術協会展に出品し、準会員に推挙され、翌年第7回展で新人賞を受賞しました。なお同展は川島理一郎も創設に加わっており、川島との交流が始まりました。69年、女性作家のみで構成される第1回潮展に出品、以後83年まで毎年参加しました。70年より9年間、韓国の磨崖仏を中心に研究、その成果を『磨崖仏讃』(耕土社、1978年)にまとめます。絵画のみならず、彫刻も手がけ、87年には第5回ヘンリー・ムーア大賞展で美ヶ原高原美術館賞を受賞しました。
平野が生まれ育った伊勢原には縄文時代の遺跡があり、幼いころから太古に対する感性が育まれました。「もうひとつの違った世界があることにショックを受けた」と後年語っています。この「もうひとつの違った世界」は縄文の遺物に限らず、新羅文化の磨崖仏や仏典からも感得し、画家の大きなモチベーションとなりました。平野は「もうひとつの世界」で見たもの、聞いたものを、素晴らしいイマジネーションにより形を与えました。多くの生きものがうごめき、死に、蘇生するありさまを、死なない者たちが発する熱や響きを、私達にも見え、聞こえるものとして提示しました。
本展は多彩な平野作品の中から仏典や仏教からインスピレーションを受けた作品を中心に約20点で構成します。