タイトル等
冨倉崇嗣 展
会場
Oギャラリーeyes
会期
2023-11-20~2023-12-02
休催日
<日曜日・休廊>
開催時間
11:00~19:00
土曜日17:00
概要
最寄駅から迎えの車に乗って10分ほどでアトリエに到着した。かつては学生寮だったという建物の空き部屋を利用して、小ぶりな複数の部屋を用途に応じて使い分けているという。絵を描くための部屋が、たしか二つ。そのうちの一つには映像作品に登場する立体物を制作するスペースがしつらえてあった。作品を保管する部屋も十分確保されている。そうした一連のスペースの中で不思議に思ったのが「作品を寝かしておくための部屋」だった。冨倉の言葉がその通りだったか心もとないが、ともかくそれは「ひと通り描き終えた作品を寝かしておくための部屋」なのだという。
作者が自分の作品を客観的に見るために、時間的、空間的な距離を必要とするということは当たり前のこと。頭ではそう理解しつつ、この寝かし部屋は何かひっかかる。この部屋について話をする中で、独立したスペースを用意して、なんとなればその存在を忘れてしまう/初めて見るように再会することを期待してこの場所に作品を送り込む作家の制作(?)方法はやはり、彼の作品の魅力の核心に触れていると思い直す。
冨倉崇嗣の絵画は、何らかのイメージが夢のように統制的な文脈から解かれて漂う様子からマイクロポップやシュルレアリスムとの比較を誘い、実際にそうした論考も行われてきた。ただ、そうした先例と冨倉の作品とを分ける特徴として、冨倉にとって大切なのはイメージやイメージ相互の関係性ではなく、イメージが生成する「場」の方だということは言えそうだ。冨倉はその「場」について、地と図でいえば地のこと、画面のことだ、という風に形式的な問題として捉える方向にも向かわず、別の期待を込めて、ある「場」とでも呼ぶほかない画面の上に生じる特別な状況と出会うために絵画を描いてきた。そう考えたなら、近年の映像作品も絵画と無縁のものではなく、同じ意識で取り組まれていたのだと思えてくる。冨倉の映像が垣間見させるのもまた、オブジェが規定の意味連関から解かれ、純粋な遊びが始まる瞬間であり、状況だった。
目的から解放された場所、余地。それは中間地帯、猶予期間でもある。あるいは遊びの場と、彼の作品を呼んでみたい。アトリエには今回の個展に出品する予定だという作品が立てかけてあった。窓から差し込む光が大分仕上がってきたという作品を静かに照らしていた。四角いキャンバスが光の加減でふわりと輝く瞬間があって、まるでこどもたちが集まる公園のようだと思った。
小林 公(兵庫県立美術館 学芸員)
会場住所
〒530-0047
大阪府大阪市北区西天満4-10-18 石之ビル3F
交通案内
地下鉄 御堂筋線 / 京阪本線
「淀屋橋駅」下車 北改札口1出口、徒歩10分

JR 東西線
「北新地駅」下車 東改札口11-43出口、 徒歩8分
ホームページ
http://www2.osk.3web.ne.jp/~oeyes/
大阪府大阪市北区西天満4-10-18 石之ビル3F
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