茶の湯の焼物で喫茶の碗は特別な器です。亭主が客の前で茶を点て、それを客が喫する。その間に碗だけが亭主と客との間を行き来し、それぞれが手にするものであるからです。
だからこそ喫茶の碗は、茶の湯が始まると、大きく変化を見せていきます。茶を喫するためだけではなく、亭主と客とに共有されることに大きな意味が生じ、茶の湯のための碗が新たに見出され、そのための碗が作り出されていきました。こうした動きを、「天目」と「茶碗」と、喫茶の碗を二つの視点から見ていきます。
寺院では抹茶の喫茶法とともに伝えられた天目が主役となりました。喫茶が広まると茶碗も使われるようになっていきます。茶の湯が始まると、天目と茶碗の双方で侘びの価値観によって選択が行われていきました。天目では建盞(けんさん)から灰被(はいかつぎ)という変化であり、茶碗では、中国産の唐物(からもの)から、朝鮮半島産の高麗物(こうらいもの)へという展開でした。そして和物茶碗。千利休は自らの茶に適う茶碗を作らせることで、和物茶碗の世界で創造の扉を開きます。
瀬戸や美濃は、そうした動きに最も敏感に反応した窯場でした。瀬戸が唐物天目を写して和物として先頭を切り、続いて瀬戸・美濃が軌を一にして茶の湯のための茶碗作りへと進んでいく。そして桃山時代には美濃が和物茶碗の創造の最前線を進みます。
そんな喫茶の碗の物語を、中国陶磁への憧れから、茶の湯とともに始まる選択の時代へ。さらに桃山時代に起きた和物茶碗の爆発的創造を。そして江戸時代、喫茶の碗として天目と和物茶碗とが辿った異なった道までをご覧いただきます。