帝国奈良博物館(現在の奈良国立博物館なら仏像館)は明治二十七年(一八九四)十二月に竣工し、翌年四月に開館しました。設計は明治時代を代表する建築家で当時宮内省内匠(たくみ)寮技師だった片山東熊(かたやまとうくま)が担当し、奈良県に誕生した最初の西洋建築として知られています。片山は工部大学校造家(ぞうか)学科(東京大学工学部建築学科の前身)の第一期卒業生で、帝国京都博物館(京都国立博物館明治古都館 明治二十八年)、奉献美術館(東京国立博物館表慶館 明治四十一年)、東宮御所(迎賓館赤坂離宮 明治四十二年)などの作品を遺(のこ)しましたが、帝国奈良博物館はこれらに先立つ若き日の代表作として貴重です。
近年おこなわれた設計図と工事録の分析により、この建物の建設の経緯があらためて詳しくわかってきました。濃尾(のうび)地震(明治二十四年)を経て堅牢性を重視したこと、窓からの採光の工夫、雨仕舞(あまじまい)への配慮、さまざまな要因による工事の遅延(ちえん)、予算確保の問題などから、国内での事例がまだ少なかった博物館建築を生み出すための関係者たちの苦労がうかがわれます。
設計図と工事録をとおして、明治時代中頃のこの地に博物館が誕生した道のりを振り返ります。