1936(昭和11)年、盛岡で新しいデザインを模索する若者たちが集い、「青空スタヂオ」と称するデザイン研究会が発足しました。この結成を主導した内村幸助(1920年~1989年)は、戦前戦中を通じて時局ポスターなどグラフィックデザインの作品を精力的に発表し、県内で高い評価を受けます。戦後、岩手県工業指導所意匠部に勤務した内村は、日本の高度経済成長に伴うデザイン需要の飛躍的な高まりとともに、県産品包装紙や岩手国体、植樹祭のポスターなど優れたデザインを世に送り出すことになりました。
一方、戦後まもなく表現者として創作活動も開始され、二科展を中心にモダンアート展や岩手県芸術祭の常連作家となり、1965(昭和40)年の二科展デザイン部で奨励賞を、67(昭和42)年の同展で特選を獲得しています。さらに、デザインにとどまらず絵画でも入選を重ねるとともに、漫画やエッセイなど多岐にわたって表現活動を展開し、戦後岩手のデザイン界をけん引していきます。
また、内村が立ち上げに尽力した「岩手デザイナー協会」が1964(昭和39)年に発足すると、プロのデザイナー集団として岩手のデザインレベル向上に寄与することになります。1978(昭和53)年からは自ら会長を務め、県デザイン界の御意見番として後進の指導にあたりました。
本展は、昭和期の岩手デザイン界の礎を築いた内村幸助の初の遺作展として、グラフィックデザインや絵画の代表作に加え、彼のデザインによる包装紙やチラシなどの印刷物で内村の活動を振り返ります。