土門拳と写真の出会いは24歳のとき、母親のすすめで上野の営業写真館で働き始めたことがきっかけでした。報道写真家こそ自分の目指す道と確信した土門は、昭和10(1935)年、名取洋之助主宰の日本工房に入社。対外宣伝雑誌『NIPPON』の仕事で日本の文化を撮影しました。
戦後にリアリズム写真を提唱した土門は、数多くのテーマに取り組み、膨大な数の作品をのこします。
長期構想の末に完成させた「風貌」、ライフワークである「古寺巡礼」「室生寺」、社会に訴えかけるルポルタージュの傑作「ヒロシマ」「筑豊のこどもたち」などよく知られたテーマはもちろん、ヌードを含む組写真など一風変わった撮影にも挑んだ土門。日本の美を追い求め続け、「写真の鬼」と呼ばれた彼の根底には「撮りたいものだけを撮る」という確固たる信念がありました。
生誕110年をむかえた今年、土門拳とはどのような人物だったのか、その作品からあらためて生涯をたどります。