明治末期から昭和初期にかけて芦屋を中心とする阪神間は、「健康地」というキャッチフレーズのもと、大阪商人たちの別荘地として発展し、文化的に豊か な生活が営まれていました。大阪生まれの貴志康一[1909(明治42)~1937(昭和12)年]が、芦屋浜にあった貴志家の別邸へ移り住んだのは1918(大正7)年のこと でした。ここでヴァイオリンを学びはじめた貴志は、やがてロシア人ヴァイオリニストにその才能を見出され、旧制甲南高等学校を2年で中退してジュネーブ 国立音楽院へ留学します。同校で優秀な成績をおさめヴァイオリニストとしてデビューを果した後、二度目の渡欧時に作曲をパウル・ヒンデミット、指揮法を ヴィルヘルム・フルトヴェングラーに師事、1934(昭和9)年にはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して、自作の交響組曲「日本スケッチ」、交響曲「仏陀」などを初演しました。帰国後日本でも新交響楽団(現NHK交響楽団)を指揮し、ピアニストのヴィルヘルム・ケンプと共演するなど若手音楽家として大いに話題を呼びました。惜しくも28歳の若さで他界した貴志ですが、残された作品とその生涯が近年再び関心を集め、再評価の動きが進んでいます。
本展では、CD化された貴志の楽曲と自筆の楽譜によって音楽家・貴志の活動を振り返るとともに、日常を記録した当時の写真、中山岩太撮影によるポート レート、自宅の窓を飾っていたステンドグラスなどを通して、芦屋での生活の一端を紹介します。