―闇を讃えて― 谷川渥(美学者)
石版画家・星野美智子は、かつてみずからのテーマを「場・記憶・時の形式」と呼んだことがある。実際、20世紀文学に屹立するボルヘスの言語世界に呼応するかのように彼女は数多くの作品を紡ぎ出してきたが、そこで表象される砂漠や図書館や迷宮といった「場」はおおむね闇に沈む。その闇のなかに「記憶」や「時間」あるいは「意識」が潜むわけだが、そうした視覚化困難な観念は、鏡、時計、本、楽譜、砂、花といったモティーフによって、あるいは「朽ちる」「溶ける」「崩れる」といった動詞的表象によって暗示される。精緻な技倆が可能にする星野美智子の比類のない「版」の世界は輝かしい闇として現象する。彼女の作品を観ることは、その闇に包まれることにほかならない。