おおとひでお展の開催にあたって
神田日勝記念美術館々長・学芸員 菅 訓章
おおとひでおは1938年富良野に生まれ、北海道学芸大学旭川分校に学び、十勝地域で教鞭を取りながら絵画の制作に取り組みました。全道展や独立展等の公募展に作品を発表し、さらに教員で組織する荒土会の創立会員として十勝の美術史に一時代を画しました。僕が初めておおと作品に触れたのは、確か西2条にあった画廊喫茶ウィーンでの「寺島春雄賞」にちなんだ小品展でした。堅牢な画面の花の絵にひかれ、友人の新築祝いにその作品を購入、店主千田時雄さんの配慮でしばし談笑の機会を得たことを記憶しています。その後は短時間の遭遇はあったものの没交渉となりましたが、当時の作品の余韻がいつまでも心に残り、幕別町民絵画展や、散見する作品展を通じてその健在ぶりを垣間見るばかりでした。
北海道立帯広美術館が企画した「十勝の美術クロニクル」で往時の力作に触れ、さらに市民ギャラリーでの大規模な個展を契機に「おおとひでお」の旺盛な制作意欲が再び燃え上がる気配を実感するとともに、僕にとっても画面から漂う1960年代の全道展そのものの世界にある種の愛着を感じずにはいられませんでした。
その制作姿勢にもっとも影響を与えた画家が寺島春雄でした。ある機会を得て寺島春雄について調べることになり、実行委員会による遺作展のカタログを手にしたとき、寺島の制作姿勢を語る文章を貫くおおと画伯の寺島春雄への私淑と共感が心を打ちました。生涯をかけて制作に打ち込む姿こそ、おおと画伯の姿勢そのものと重なるものといえるのではないでしょうか。
神田日勝の一時代の最大のライバルとしての足跡と、真摯に作品制作に取り組む画家としての生き様を、この展覧会から汲み取っていただければ幸甚です。