鼻煙壺 (びえんこ) とは、嗅 (か) ぎたばこを携帯する容器のことで、17世紀以降、中国で独自につくられました。嗅 (か) ぎたばことは、粉末状 (ふんまつじょう) のたばこを鼻から直接吸い込んで香りや刺激 (しげき) を楽しむためのもので、特に薬としての効能 (こうのう) があると信じられていました。たばこは16世紀半ばごろにアメリカ大陸からヨーロッパへ伝えられ、さらに17世紀後半ごろに中国へと伝わりました。ヨーロッパでは箱形の容器にたばこの粉末 (ふんまつ) が納められていましたが、中国では湿潤 (しつじゅん) なアジアの気候 (きこう) に合わせ、より密閉度 (みっぺいど) の高い壺や瓶のかたちの容器が作られました。これが鼻煙壺 (びえんこ) です。
当時の中国の宮廷では、趣向 (しゅこう) を凝 (こ) らした鼻煙壺 (びえんこ) を所有することは地位の高さや豊かさを表していました。そして、鼻煙壺 (びえんこ) の魅力はその多様な素材と精緻 (せいち) な技法にあります。陶磁、ガラス、金属、貴石・石、動植物などの素材を用いて、精密 (せいみつ) な技巧 (ぎこう) を遺憾 (いかん) なくほどこし、またときには素材そのものの特徴を見事に生かし、実に多彩です。もともと携帯用としてつくられた10センチにも満たないその器には中国工芸の技術が集約 (しゅうやく) されており、しばしば「中国美術の小宇宙」とも評されます。
本展で展示する作品はすべて、世界的な鼻煙壺 (びえんこ) コレクター・沖正一郎氏のコレクションから約300点を厳選 (げんせん) しました。平安時代の随筆『枕草子 (まくらのそうし)』に記される「小さきものは皆うつくし」という言葉から、わたしたち日本人が古来 (こらい) より小さいものを愛 (め) でる心をもっていたことがわかります。その系譜 (けいふ) の体現者 (たいげんしゃ) として確かな審美眼 (しんびがん) をもつ沖氏が出会った、鼻煙壺 (びえんこ) という「小さきもの」の魅力をご紹介します。