青森に生まれ日本を代表する版画家として活躍した棟方志功(1903-1975)。版画(1942年からは「板画」と表記)のほかにも油絵、倭画 (やまとが)、書、詩歌など多岐にわたり独創的な優れた作品を残しています。その棟方が、岩手に生まれ大正期に活躍した画家・萬鉄五郎(1885-1927)に対して日本の真実を油絵でなしとげた無類の人と手ばなしで認め、《わたくしは萬氏の繪の事については、際限を持たない。それ程、わたくしは「萬鐵に首つたけ惚れて」ゐるのだ。仕方がない程、参つてゐるのだ。》(「『萬鐵』の繪心」『板響神』1952年刊)とその心酔ぶりを記しています。これほど萬を敬愛し惚れ込んでいたことは、専門家の間でもあまり語られてきませんでした。ゴッホにあこがれ画家を目指して上京した棟方が、初めて入選を果たした春陽会展会場で、奇しくも「萬鉄五郎遺作展」が開催されていました。ここで棟方は何を目にし、何を感じたのでしょうか。以後、次第に版画の道へと分けいったその姿には、萬の影が漂っているように思われてならないのです。それを物語るように、棟方の奔放な表現性に萬のそれと通じるものを見出すことはたやすく、作品に漂う土着的な匂いにも共通する表現主義的な意識を感ぜずにはいられません。さらに、棟方は萬作品を手元に置きたいと1940年代から探し続けます。そして何度目かのめぐり会いで、ようやく手に入れた「自画像」に<萬鉄五郎先醒 (せんせい)>と自ら裏書きし、封印するかのように額裏に糊貼りして生涯愛蔵したことからも、並々ならぬ敬愛の念を抱いていた証といえます。この度、画家を目指した棟方志功の初期の作品を皮切りに、第6回春陽会展で目にした萬鉄五郎遺作室の再現を試み、そこに何を見出し萬に惹かれていったのか、棟方と萬、両者の作品を対比しながら棟方志功に萬がもたらした意義を跡づけたいと思います。また、東北出身の二人の画家の足跡を紹介することで、2011年の東日本大震災で多大な被害を被った東北地方の復興を応援するメッセージにもなれば幸いです。