髙山辰雄は、1912(明治45)年、大分市に生まれました。大分中学校(現:上野丘高等学校)を卒業後、東京美術学校(現:東京藝術大学)日本画科に進学。在学中の1934(昭和9)年、第15回帝国美術院展覧会に、別府八湯のひとつ柴石温泉を描いた《湯泉》を初出品し、初入選を果たしています。同校を首席で卒業後も、伝統的な日本画技法に、徐々にではあるが、後期印象派風の鮮やかな色彩を取り入れる等、革新的な意欲作を次々に発表しました。戦中・戦後の一時期は、満足に画材を入手できないなど、苦境に立った時期もありましたが、日々の研鑚を続け、1955(昭和30)年以降には、東山魁夷、杉山寧とともに、人気・実力を兼ね備えた“日本画三山”と称賛され、日本画家として、不動の地位を築きました。1982(昭和57)年、文化勲章を受章、翌年、大分市名誉市民となりました。
自然、人間、さらには動植物の命を見つめ、深い精神性を湛えた独自の作風を展開した髙山でしたが、2007年9月14日逝去しました。
本展では、髙山が“日本画三山”と称賛され、日本画家として、不動の地位を築いた1950年代の風景画を中心に、ご遺族から寄贈された遺品、記録写真、語録等をあわせて展示し、髙山の画業を紹介します。