美術の領域に現れる作品は、「ABC」や「あいうえお」といった決まった記号(コード)による表現とは異なり、さまざまな素材や方法を自由に組み合わせることで、曖昧でユニークな表現を可能にしています。ひとつの作品は作り手から発せられる言葉や振る舞いであり、個人的なことであれ共同体のことであれ、作り手が、自身を取り巻く世界をどのように認識しているかの表れだといえるでしょう。では文化的背景が異なる土壌から生まれる表現について、私たちはどのようにアプローチすべきなのでしょうか。特に20世紀後半までの西欧中心史観が見直されたポスト・コロニアル批評を経て、現在、多くの表現者が西欧によって翻訳された言葉や振る舞いでなく、自らの言語で正当に理解されるための翻訳行為を取り戻そうとしています。また、たえず多方向から押し寄せる表現が異文化間の混交によってあらたな意味を持つとしたら、誰がそれを翻訳するのかによって大きく意味を変えてしまうことに注意を払う必要があります。「誰が世界を翻訳するのか」は、見る者との間に共感関係を創出する、展覧会という創造の場において、異なる視点からの表現を捉え、文化(作品)が世界を翻訳することを見届ける試みとするものです。
*「だれが世界を翻訳するのか」の展覧会名は同名の書籍『だれが世界を翻訳するのか―アジア・アフリカの未来から』真島一郎(編・著)(人文書院、2005年)より借りたものです。