「Ceramic Proposition 2015」
奥村泰彦
「現代陶芸」と呼ばれるようになった創造の分野がある。この展覧会に参加している10人の若い作家たちは、さしあたってはこの「現代陶芸」というジャンルに属する作品を作っていると言って良いだろう。
土を成形し、時に釉薬とともに焼成することによって造形を行うという素材と技術に規定された「陶芸」という領域において、特に第二次世界大戦が終わった後の京都を中心に、従前の在り方とは違った作品を生み出そうという試みが続いてきた。ここに出品する作家たちは、当人たちの意識がどうあれ、その流れに連なって制作を行っていることは疑い得ない。
芸術が、社会的に必要とされるその用途からの解放を自己の自律の要件として求めたことによって、現代の美術を成立させることになったのだとするならば、その波を陶芸の世界で強く受け止め、表現に結実させたのが関西に生まれた「現代陶芸」の流れだったと、現在から眺めればそのように解釈できなくもない。その多くが陶芸を生業とする家系に連なる者であった最初の世代に属する作家たち自身すら、手探りの制作の中から生み出してきた作品によって初めて「現代陶芸」という作品の在りようが可能なのだということを認めるにいたったのではなかったか。作品が生まれた時点においては、彼らの創造が名付け得ず、理解し得ない代物と受け取られたであろうことは、むしろ昨今では無理にでも想像しないと、理解できない事柄であるかもしれない。それほど「現代陶芸」は、確立した一つの表現ジャンルとしての地歩を今日までに築いてきたのである。その途上では「前衛陶芸」や「オブジェ焼き」などの呼称も用いられ、事態の理解を促す役目を担ったが、今日にいたる創作の広がりを呼ぶには「現代陶芸」という中性的で、むしろ暖昧な呼称を用いておこうと思う。(デュシャンが「オブジェ・ダールでないオブジェ」を構想したその言葉を借りて、八木一夫が自作を「オブジェ焼き」と呼んだことは、単に言葉を借りた以上に、日仏において既成の芸術概念から離脱する意思が工芸を起点に現われたようで興味深いのだが。)
実用との結びつきの強い、むしろ実用となる何ものかを作る技術としてあることが前提と考えられた工芸の分野で、制作の独自性を自律させる行為は、実用性からの乖離として現われた。陶芸においてそれを端的に示したのは、壷の口を閉じることと考えられた。用的な陶芸がおそらくもっとも多く生み出してきたのは器物であっただろう。器物は、内側にはらんだ空虚に何ものかを満たし、供するものとして使われてきた。口を閉じるとは、使われるものであった空虚を形の内部に封じ込めることであり、用途でなく形によって表現する何ものかとしての陶芸の在り方を宣言する事態であった。それは一面では制作の根拠自体を制作によって否定する行為だった。
用を放擲した陶芸は、立体的な造形であるという点で、彫刻へと接近する。陶による彫刻として「陶彫」という言葉もあり、積極的に陶を制作手段として用いる彫刻家も存在した。また一方で、陶による置物の伝統は、フランスにおけるオブジェ・ダールにもつながる制作の歴史を有している。更に応用芸術から純粋芸術への参入というヒエラルキー上の闘争も想定されていたかもしれない。
だが、実際には制作者自身も作品を受容する立場の人間も、「現代陶芸」を彫刻の一分野とは見てこなかった。立体的な造形であるという共通項以前に、出自が異なることによる造形そのものについての根本的な意識において、それらは異質なものと考えるべきではないか。
制作の本質を追究することによって表現の自律に到ろうとする探求は、彫刻はもとより他分野との異質性を強調する方向へ表現を進めたものと思われる。素材や技法自体の特質を表出させることに表現の重点が求められ、土という素材や焼くという行為への考察を造形として示すことが表現の核として試みられたのである。
そのような表現は、しばしば素材の限界を問うアクロバテイックな作品に帰結した。「クレイ・ワーク」という言葉が使われるようになったのは、最も先鋭化した表現に対して従来の「陶芸」という言葉が適さないと考えられたためであったろう。
この展覧会に参加している作家たちの中にも、そのような探求からの影響は程度の差はあれ認めることができると思われる。作家個々の独自な探求はまた、歴史の結果でもあるはずなのだ。だが一方で、このような思考から離脱した表現が現われることを期待しても、悪くはないかもしれない。
(おくむらやすひこ・和歌山県立近代美術館教育普及課長)