酒田の茶道の機軸となる玉川遠州流は、大森漸斎を流祖とし、文政二年(1819)秋田大館浄応寺の釈無等によって酒田大信寺の耕月に伝えられています。本間家歴代当主も玉川遠州流に親しみ、特に六代光美・八代光弥が中心となった明治末から昭和初は、清遠閣の茶室「六明廬」における茶会が隆盛を極めました。緑豊かな庭園内での茶会は、室町時代後期に流行した「市中ノ山居」としての茶席を彷彿とさせる、離俗的であたかも山中にいるような心身のゆとりを与えてくれるものであったでしょう。
本間家伝来の茶道具は、財政支援の御礼として庄内藩主酒井家や米沢藩主上杉家などより拝領した道具や、明治から昭和にかけて、当時酒田の迎賓館であった清遠閣にて客人をもてなすために用意されたものです。それらの道具は、華飾をそぎ落とし自然で簡素なものに見えつつも、深い思想と細かな計算、工夫と技術を内に秘めているように感じられます。
茶の湯はもてなしの美であり、その場、その時限りの芸術をつくりだします。もてなす側、もてなされる側の心に思いをめぐらせながらご鑑賞ください。