「忘れられた日本」と「忘れられた日本人」
岡本太郎は、1957年から雑誌『芸術新潮』の「芸術風土記」連載のため日本各地をカメラ片手に、飛び回ります。その後も1966年まで岡本は、北は北海道から南は沖縄まで集中的に日本を取材し、数多くの写真を撮影しました。これらの取材で書かれた文章や写真が後に本として刊行される時、その題名には「日本」がついていました。例えば『日本再発見―芸術風土記』『忘れられた日本―沖縄文化論』『神秘日本』など。このことからも岡本の「日本」を巡る旅は、「日本」の本質を探す旅だったといえるのではないでしょうか。
岡本太郎以上に「日本」をまわりながら、数多くの写真を撮った民俗学者に宮本常一がいます。宮本は戦前から日本をくまなく回り、日本の民衆の生活をつぶさに見ながら調査しました。宮本の師であり、公私にわたってバックアップしてきた財界人であり、民俗学者・渋沢敬三は宮本の旅する軌跡を称して「日本列島の白地図の上に、宮本くんの足跡を赤インクで印していくと、日本列島は真っ赤になる。」と述べています。宮本は様々な調査を行いながら数多くの写真を残しました。宮本は写真を「記憶の島」と云い、また民俗学の大事なツールと捉え、写真民族誌(あるいは映像人類学)につながる方向性を示したのではないでしょうか。
一方、岡本太郎は土門拳との対談において「写真というのは偶然を偶然でとらえて必然化することだ。」と述べています。岡本の写真は彼の芸術家としての直観力と民族学を学んだ観察力に裏付けされているのではないでしょうか。
2人の写真を並べることで見えてくるそれぞれの写真の違いと共通点の中に「日本」そして「民衆」の姿を見ながら、高度経済成長(近代化)で失われたものを再発見しようという試みの展覧会です。この展覧会の2人が捉えた「日本」の姿が、現在の日本について見つめなおす機会になればと思います。