延暦25年(806)、最澄は比叡山に天台宗を開きました。その2年後の大同3年(808)、下野国で勉学に励んでいた15歳の少年円仁は、向学の夢を抱き師の広智に連れられて比叡山に登ります。憧れの最澄のもとで円仁は懸命に修行し、やがて遣唐使に選ばれ、45歳で入唐求法の旅に赴きました。10年にもおよぶ苦難の旅の末帰国した円仁は、第三代天台座主につき、中国から伝えた最新の密教や法華経と阿弥陀信仰などを一気にひろめました。その業績は高く評価され、没後2年で日本最初の大師号である「慈覚大師」を贈られました。
円仁の事績は、日本の古代仏教史のみならず日本文化史上においても多大な影響を与え、円仁ゆかりの寺社は日本全国で700にも及び、また彼の在唐日記『入唐求法巡礼行記』は、世界的な評価を受けています。
このたび、円仁が下野の地から比叡山に旅立って1200年を迎えるにあたり、ふるさとの栃木で、慈覚大師 円仁の生涯と偉大な業績について紹介する展覧会を開催いたします。国宝・重要文化財約100点ほか多数の仏教美術が出品される最大規模の特別企画展です。