日本の自然の美しさはよく「花鳥風月」という言葉であらわされます。その一つである「月」は古今東西、人々を魅了してやまないテーマとして、これまでに月にちなんだ様々な芸術作品が生み出されてきました。幕末から明治期に活躍した浮世絵師、月岡芳年(1839-1892)の晩年の浮世絵版画シリーズ《月百姿》もその一つです。
芳年といえば、血みどろ絵や残酷絵など、どぎつい画風の絵師としてよく知られますが、同シリーズでは壮絶な場面を直接描くのではなく、見る者の頭の中で想像させることで、その戦慄をじわじわ伝えるという手法で描かれています。
たとえば能や歌舞伎で人気を博した「船弁慶」の一場面などは、舞台では大物浦での源義経と静御前の別れと、海上に現れる平知盛の怨霊を弁慶が祈り伏せる場面が見どころですが、芳年の描く作品では、荒れ狂う波さえも、まるで凍り付いたかのような不気味な静けさに満ち、かえって壮絶さが喚起されます。
《月百姿》シリーズの抑制されたこの緊張感はよく古典芸能の「能」に例えて説明されてきましたが、緊張を強いる作品ばかりではなく、ほのぼのとした雰囲気の作品も含まれています。張り詰めた空気の中で演じられる「能」と、その空気をやわらかく解きほぐす「狂言」との両方の世界、つまり「緊張」と「弛緩」という対照的な二つの要素の組み合わせによって《月百姿》シリーズは成り立っています。
展覧会ではシリーズ中、当館が所蔵する十四点を全て展示します。理性と狂気の入り混じる芳年の世界であなたはどんな体験をするでしょうか。どうぞ足をお運びください。