ID:59433

大観を中心に…

珠玉の日本画展

Venue

常陽藝文センター 藝文ギャラリー

Period

前期 平成30年10月17日(水)~11月4日(日)
後期 平成30年11月7日(水)~11月25日(日)

前期 平成30年10月17日(水)~11月4日(日)
後期 平成30年11月7日(水)~11月25日(日)

Exhibition Outline

大観を中心に… 珠玉の日本画展 シュギョクノニホンガテン

公益財団法人常陽藝文センターでは郷土作家展シリーズ第256回として、「大観を中心に… 珠玉の日本画展」を開催いたします。
近代日本画の巨匠として現在も高い知名度と人気を誇る横山大観は、明治元年現在の水戸市城東で生まれました。岡倉天心が校長を務める東京美術学校の第一期生として入学し、下村観山、菱田春草、西郷弧月らとともに狩野派の画家・橋本雅邦に学びます。29年には同校助教授に任命されましたが、天心を中傷する怪文書に始まる内紛で天心が美術学校を追われると大観らも職を辞して、天心の日本美術院設立に参加します。居を移した谷中の研究所には、笠間出身で同校日本画研究科を修了したばかりの木村武山も加わりました。定期的に行われる研究会では天心の思想が伝えられていき、精力的に新しい画法が試みられましたが、この画法は「朦朧体」と呼ばれ酷評を受けます。
天心に同行する形で春草と訪れたアメリカやヨーロッパで朦朧体は好評を得たものの日本美術院の財政難は続きました。天心はかねてより別荘をかまえていた北茨城の五浦への移転を決意、日本美術院絵画部は天心と大観、春草、観山、武山の5名の組織となります。天心の別荘建設の際に案内したのは北茨城の画家・飛田周山でした。
朦朧体の不人気から絵は売れず貧窮し、父の死去、春草の眼病発症による帰京などの苦難が続き、家の焼失を機に大観は東京に戻ります。44年には盟友・菱田春草が、大正2年には師・岡倉天心が死去。天心の没後一周忌に横山大観は下村観山らとともに日本美術院の再興を果たします。再興日本美術院には、かねてより大観がその画風を絶賛していた小川芋銭のほか酒井三良、安田靫彦らが参加しました。
朦朧体の不評後も新しい表現方法を模索し続けた大観の作品は、大正時代になると高い人気を得るようになります。太平洋戦争中も「彩管報国」(絵筆をもって国に報いる)のスローガンのもと精力的な制作活動を行いましたが、戦後戦犯協力者としての断罪は免れ、昭和33年に永眠するまで日本画壇の中心にあり続けました。
今展では、生誕150年を迎え、改めてその画業が見直されている大観を中心にした日本画21点を展示します。前期は東京美術学校で共に学んだ画家たちや五浦時代に関わった画家たちを、後期は再興日本美術院で関わりをもった画家たちを取り上げます。

Organizer
公益財団法人常陽藝文センター
Closing Days
(但し毎週月曜日は休館)
Opening Hours
AM10:00 ~ PM5:45
Admission (tax included)
入場無料
Exhibition Website
http://www.joyogeibun.or.jp/tenji/index.html

Access Information

常陽藝文センター ジョウヨウゲイブンセンター

Address
〒310-0011
水戸市三の丸1-5-18 常陽郷土会館内
Website
http://www.joyogeibun.or.jp/
Updated Date:2018.10.30
Created Date:2018.10.30