ID:80307

シュウゴアーツ オンラインショー

映像小屋3-残光

会場

シュウゴアーツ ウェブサイト

会期

2025. 7. 26 Sat-8. 30 Sat

展覧会概要

シュウゴアーツ オンラインショー 映像小屋3-残光 エイゾウゴヤ3-ザンコウ

残光 - Afterglow
奥多摩と山梨の県境にある山の中腹から、
西にそびえる甲州市鶏冠山の頂の左肩付近に沈んでいく夕日を眺めていた。
空の色が透明な青色から、透明な黄色に変化していく。
今日一日、私たちを照らしていた光源はついに見えなくなった。
それでも、あたりが暗くなったわけではない。
人々は山の向こうの光源の存在を感じながら、暗い世界の訪れを迎える準備をしている

そんな時間について考えていてふと思った。
私たちは常に残光の中に生きているのかもしれないと。
先祖からつないできた残光――それは歴史や影響といった言葉に置き換えることもできる――その中で私たちは暮らしている。そしてただ毎日、接続の光と残光の中を歩んでいるのかもしれない。

昨年12月に99歳で亡くなった祖父が遺した家や物を、7月に入った今でも私たち家族は整理している。祖父の姿は見えなくても、その存在の記憶は消えることはないだろう。

私は過去の光を映像として残す術を知っている。
その実体や時間はすでに失われたものであったとしても、光として残るのだ。

展覧会ホームページ
https://shugoarts.com/exhibitions/e01230/

イベント情報

プログラム
魂の流れ - Soul flow
祖父が遺した家の空間には、今も生活の気配が色濃く残されている。祖父が存命の時よりも、片付けのためにその家を訪れる機会が多くなったのは、なんだか不思議なような、申し訳ないような気もする。それでも、祖父のことも家のことも忘れて日常生活を送るより、祖父を想いながら家を使う方が、祖父の霊への孝行だと考えたりもするのだ。
今も先祖の霊が、その土地や家の中に漂っていると想像すると、この世もあの世も実は同じ世界で、私たちはただ風に吹かれているだけなのかもしれない。

留めることはできず、失い続けていく - It cannot stay and will continue to be lost.
昭和44年(1969年)に当時の贅を尽くして建てられた祖父の家も、長い時を経て、主を失い、家のあちこちが動かなくなったり、傷んだりしている。祖父は子どもや孫たちが、受け継いできた土地を守り、未来へつないでいくことを願っていたと思う。しかし、ある形や姿、もののあり方を、変わることなく維持し続けることができないことは自明である。そんな自然の摂理に抗い、変化を止めようとすればするほどに、その固執により変化を進めてしまうというようなこともあるだろう。
自分の身体も含めて、何かを失い続けていく中で、私たちは何を残すことができるのか。

私たちの練習 - Our Practice
思春期の頃、私は未来に対しての漠然とした不安を抱えながら、毎日のように校庭に散らばる白球を追いかけていた。
ボールが見えなくなる時間になると、野球部員は一斉に、トンボと呼ばれる木製用具を使ってグラウンドを整備する。そのトンボをかける時間の感覚を今でもふと思い出す。何かをやり遂げたような充実感と満足感。きつい練習が終わった安堵の気持ち。遠くの空はまだ完全に暗くなりきっておらず、空のグラデーションが世界を祝福しているかのようだ
ただただボールを追いかけていたあの時の自分と、今の自分は何が違うのだろう。サーキットは今も続いている。

3カウント - 3 COUNTS
亡くなった人の物を整理するのはとても難しい。その人や自分の思いや記憶が結びついているのだから。普段の生活に必要でなくても、今後使う予定もなくても、思い出を捨てるのは難しい。どうしたらものを残す、残さないを判断できるのか。どうしたらけりをつけられるのか。「決まる」と「決まらない」の間とはなにか。
試合の決着は、時間が関係していることが多い。プロレスはレフェリーの3カウントで勝負が決まる。プロレスの試合を決めているのは誰なのだろう? レスラーなのか、レフェリーなのか?所有者と所有物の関係を無視して、私は3カウントし続ける。

テニスコート・ステージ・ドラム - Tennis court, stage, drums
スポーツ選手にとっての試合会場、ミュージシャンにとってのコンサート会場。どちらもプレーヤーが光輝く舞台という点では同じだろう。しかし、奏者のいないドラムセットや、相手がいないまま転がるテニスボールもまた美しい。寂れたテニスコートに突如鳴るドラムの音が、不在の空間に抗う「存在の響き」に聞こえるのは自分だけだろうか。羊男が言うように、私たちはテニスボールが放たれるうちは、誰が決めたかもわからないルールの中で、動き続けなければならないのだ。
「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言っていることはわかるかい?踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなこと考えだしたら足が停まる。
-『ダンス・ダンス・ダンス』(村上春樹、1988年)より

世界 - The WORLD
祖父母の家、両親の家、自分の家にある人形やぬいぐるみをかき集めてならべてみたら、まるで山や森、海岸のような自然の風景にも近い不思議な光景ができあがった。この物たちそれぞれに、結びつけられた思い出があるのだろう。物は記憶の入れ物になるのだ。
祖父母の魂や記憶が、今もいたるところに漂っているならば、世界はもっと複雑で、あらゆる人や物が同じ場所で同時に、多次元的に存在しているような、死や離別を超えた可能性に満ちているのかもしれない。

会場情報

シュウゴアーツ ウェブサイト シュウゴアーツ

会場住所

港区六本木6-5-24 complex 665 2F
ホームページ
https://shugoarts.com/
更新日:2025年8月28日
登録日:2025年8月26日