ID:22499

高村光太郎と柳敬助

会場

碌山美術館

ROKUZAN ART MUSEUM

会期

2006年10月14日(土) ~ 2006年11月26日(日)

展覧会概要

高村光太郎と柳敬助 タカムラコウタロウトヤンギケイスケ

本年は高村光太郎没後50年にあたり、この展示は夏季企画展「高村光太郎と荻原守衛の交友」に続くものです。
高村光太郎は明治16年東京に、柳敬助は明治14年、現君津市の医者の次男に生まれました。東京美術学校に同時期、光太郎は彫刻科に敬助は西洋画科で学びましたが、交流が始まったのは留学先のニューヨークでした。敬助と荻原守衛はナショナル・アカデミーやアート・スチューデンツ・リーグで共に学び、守衛に光太郎を紹介したのは敬助です。八ヵ月間パリで絵を学んできた守衛はロダンの彫刻に衝撃をうけ再びニューヨークに帰り、彫刻のための勉強を始めていたところでした。敬助は、その後守衛や光太郎がヨーロッパに移ってからもしばらくニューヨークで学んでいました。
守衛、光太郎、敬助と次々に帰朝するようになって、これから面白くなると皆が思っていた矢先、守衛が急死してしまいます。光太郎は「ロダンの言葉」の翻訳や、日本初の画廊「琅洞」の開店、詩や彫刻などで日本美術界の先導者として、敬助もまたもっぱら人物画を描き自らの制作活動を続けます。
三人が共に影響を受けた宗教家に新井奥邃がいます。おそらく敬助は留学中に守衛からその名をたびたび聞いていたのではないかと思われます。特に敬助は熱心な門弟となり、光太郎に奥邃の小冊子『読者読』を贈っています。光太郎はそれを身辺に置いて何百回か読み返したと手紙で書き送っています。生命というものを自分の求める新しい美の根本をなすものであると考えていて、それを奥邃の言葉の中に見つけたのです。
館蔵品による本展は、二人に共通する生命の芸術を求めた制作を、光太郎の彫刻とデッサン、敬助の美校・留学時代の油絵やデッサンから晩年までの作品でご覧いただきます。

展示作品・資料
高村光太郎:彫刻6点、デッサン3点、『彫塑生面』、書簡
柳 敬助:油絵20点、人体デッサン6点、スケッチブック
荻原守衛:油絵1点
富本憲吉:墓碑
新井奥邃:『奥邃語録』

休催日
会期中無休
観覧料
大人700円 高校生300円 小中学生150円
展覧会ホームページ
http://rokuzan.jp/
展覧会問合わせ先
Tel. 0263-82-2094 Fax. 0263-82-9070

会場情報

碌山美術館 ロクザンビジュツカン

ROKUZAN ART MUSEUM

会場住所
〒399-8303
安曇野市穂高5095-1
ホームページ
http://www.rokuzan.jp/
問い合わせ先
0263-82-2094
更新日:2010年10月27日
登録日:1999年3月31日