「破壊と創造の巨人」ピカソ絶頂期の名作が一堂に! 日本初公開94点を含む約160点を紹介
本展覧会は、新古典主義に続く1925年から第二次世界大戦前夜の1937年までの作品で構成。パリ・国立ピカソ美術館が所蔵する作品を中心に、シュルレアリスム風の作品やからだに着目して描いたエロティックな作品など約160点を紹介します。数多くの女性を愛したピカソの、奔放で力強い作品の数々を十二分に堪能できるまたとない機会といえます。
■本展覧会で中心となる時代 ピカソの1925-1937年 変貌の時代-躰[からだ]とエロス-
1924年10月、ブルトンの「シュルレアリスム宣言」以来、シュルレアリスム運動が盛んとなり、ピカソもその潮流の近くに身を置いていました。1917年の結婚から10年、妻オルガとの幸せな結婚生活は終わりを告げようとしていました。上流階級の生活、オルガの物欲、名声欲にピカソは辟易とします。
そんなとき、1927年1月8日、ピカソは一人の「ミューズ」との運命的な出会いをします。冬の寒い午後、ラファイエット百貨店の前の地下鉄の出口から出てきた金髪の娘マリー=テレーズ・ワルテルと出会い、一目惚れするのです。マリー=テレーズ17歳、ピカソ45歳のことでした。「ピカソです。私と一緒に偉大なことをしましょう!」が第一声の口説き文句でした。妻オルガとのいさかい、人目をはばかる若い女性との恋。生涯で最も激しく情熱をその制作に反映させていきました。
マリー=テレーズとの出会いから数年間、家庭生活の崩壊や、政情不安などのせいでしょうか、作品のフォルム(かたち)はねじれ、痙攣し、解体され、激しい表現へと向かい、時には不気味な形となって描かれるようになります。また、この頃、アトリエや彫刻家を主題とした作品も描いています。しかし、1930年代前半には、マリー=テレーズをモデルとした優しい肉体の線を持つ女性が、数多く描かれるようになっていきました。ボワジュルーを舞台とした豊穣な作品は絵画も彫刻もほとんどがマリー=テレーズの姿で占められることとなります。
しかし、1933年から1937年にかけては、闘牛やミノタウロスをテーマに数多くの作品が描かれます。ミノタウロスはピカソ自身であり、それはアトリエ、閨房、暴力、凌辱などさまざまな題材に変貌していきます。