宮脇綾子がアプリケを始めたのは1945年(昭和20年)、40歳のとき。「防空壕へ出たり入ったりしなくなった、その時間で何か‘仕事’をしよう」。人々の心がすさみきっていた戦後にあって、それは実にみずみずしく、大胆な生き方の選択でした。厳しい生活環境の中、懸命に家庭を護りながら、使い古されたまま家の奥に埋もれていた布や小裂を素材に、それらのイメージを身近な野菜や魚、草花に結び付け、あたかも現代絵画のコラージュのような造形性と心あたたまる詩情を兼ね備えたまったく新しいアプリケの世界を生み出しました。木綿の手触りを愛し、枯れた藍の色に新鮮な喜びを見いだす主婦らしい細やかな情感に加え、鋭い観察眼と天性のセンス。洋画家であった夫、故・晴氏との夫婦愛にも支えられ、「創作活動は豊かな家庭生活に通じる」との本人の言葉通り、'95年に90歳で亡くなるまでの半世紀の間に家庭というアトリエで、アプリケを芸術の域にまで高めました。