本州中部の太平洋沿岸を通るルートとして、現代の我々にとってもなじみ深い東海道。古代の律令制における地方行政区画・五畿七道に由来しており、畿内から伸びる七道と呼ばれた官道のうちの一つとして定められていました。しかし、中世以前の庶民には経済的余裕がなく、旅はもっぱら年貢輸送や雑役が目的であったといいます。
庶民にとって旅が身近な楽しみとなるのは、江戸時代中期頃からです。その要因として、経済の安定や交通環境の向上、出版文化の発展等が挙げられます。慶長6年(1601)に導入された宿駅伝馬制により、江戸と各地を結ぶ街道の整備が開始されました。同9年には、日本橋が五街道(東海道、中山道、甲州道中、奥州道中、日光道中)の起点に制定されます。このうち東海道は、江戸と京を結ぶ基幹街道として、寛永元年(1624)までに53の宿場が設置されました。大名行列だけでなく庶民までもが安全に通行できるようになったことで、多くの人々が寺社参詣や湯治を兼ねた遊興の旅へ出かけるようになったのです。
庶民の間で生じた旅行ブームの影響は、出版文化にまで及びました。旅をテーマとした物語をはじめ、各地を取り上げる図会や地図が盛んに刊行されるようになります。八隅蘆庵が旅の心得や必需品を解説した『旅行用心集』(文化7年/1810)は、旅行案内書として庶民に広く受容されました。
また、風光明媚な名所を多数擁する東海道は、浮世絵においても人気の題材でした。東海道物を最も得意とした浮世絵師は歌川広重でしょう。広重は、代表作「東海道五拾参次之内」(保栄堂版)をはじめ、生涯にわたり20種類以上の東海道シリーズを手掛けました。各揃物は、日本橋から京に至る同一構成ながらも、それぞれ商品としての差別化が図られています。
本展では、「保栄堂版」を中心に6種の東海道シリーズから出品し、各宿場や道中を主題とする浮世絵を、当時の旅程になぞらえてご紹介します。『旅行用心集』にも紹介されている神獣・ハクタクと共に13泊14日の旅に出かけましょう。