嘉永7年=安政元年 (1854)、横浜の地において日米和親条約が締結され、それまで「鎖国」を続けてきた日本は「開国」することとなります。これを記念して、本展覧会では、横浜と浦賀の中間にあたる金沢の地に陣屋を構えていた、市域に本拠をもつ唯一の大名である武州金沢藩(藩主米倉氏)が、同年及び前年の嘉永6年(1853)の二度にわたるペリーの来航、さらにはそれに先立つ弘化3年(1846)のビットルの来航時において、どのような対応をとっていたのかを、当館所蔵資料である金沢藩士萩原家文書中の古文書・絵図を中心に紹介します