平山郁夫は昭和34(1959)年の東京藝術大学の副手として勤務していたときに、学生を引率して奥入瀬や八甲田山などを巡りました。当時は被爆による後遺症で体調も思わしくなく、また創作上の不振なども重なった時期でもありました。旅路の途中で体調が悪化し息も絶え絶えであった平山の目の前に現れたのは新緑の奥入瀬渓流でした。命の息吹を感じさせる力強い奥入瀬の流れは、平山に生きる喜びを心から教えてくれたといいます。それから35年、この思いを作品に残すことを強く決意し制作した《流水間断無(奥入瀬渓流)》を中心にご覧頂きます。