アクション・ペインター白髪一雄の妻・富士子の没後5年にあたる節目として、若き日の数年間に前衛美術家として活躍した富士子の作品をご紹介します。
白髪富士子は1928年、大阪市に生まれ、大阪市立大手前高等女学校を卒業後、20歳で白髪一雄と結婚しました。一雄の絵画制作を間近に見るうちに自身も創作に目覚め、作品制作を始めます。1955年に一雄とともに前衛美術グループ具体美術協会に入会すると、具体美術展や芦屋市展を発表の場として本格的に制作発表を行います。長い一枚の板を一本の切り口で分割して空間による線を創り出した《白い板》や、重ねた和紙を破って画面に表情をつけ、絵具を塗り重ねることによって独特の柔らかな表現を生み出した絵画など、革新的な素材選びとその繊細な感覚により、注目を集めました。
しかし、一雄の評価が高まり活動が多忙となったことから、1961年に自らの創作活動に終止符を打ち、以降は一雄の創作活動を二人三脚で支え続けました。数年間ではありましたが、前衛美術家として才能を発揮した白髪富士子の貴重な作品と資料を公開します。