1932(昭和7)年、盛岡に生まれた浅沼弘(旧姓:佐々木/1932年-2012年)は、戦後まもなく開校した岩手県立美術工芸学校で学び、卒業後は上京し制作を開始します。1953(昭和28)年の独立展入選を皮切りに、翌年には独立美術賞を獲得し新人画家として頭角を現します。その才能は留まることを知らず、1955(昭和30)年には独立美術協会会友に推挙され一躍注目されることとなります。天性のセンスと巧みなテクニックで具象表現を基にした魅力的な作品を生みだしていった浅沼ですが、60年代に入ると地元での活動に切り替え帰郷します。徐々に前衛的な表現へと移行していき、盛岡の若手画家たちが結成した精鋭美術グループ「集団N39」に参加。新たな独自表現を模索しながら多彩な表現活動を試みていきます。
萬鉄五郎記念美術館では1995(平成5)年に浅沼の現況を紹介する自選展を開催しています。当時は「マンダラ・シリーズ」に取り組んでおり、心的な世界観に裏打ちされた抽象表現を試みていました。その後、水彩画の特性を駆使した静謐で情緒性に満ちた抽象描写や裸婦シリーズへ移行していった浅沼ですが、いずれの時代においても完成度の高い絵画表現を構築していったといえます。
本展は2012(平成24)年に亡くなった浅沼の初の遺作展となります。初期から晩年まで画業の全体像を紹介するとともに、豊かな才能の持ち主であった彼の表現世界を再検証したいと思います。