鏑木清方は、13歳の時、挿絵画家への道を歩み始めました。その決断には、『やまと新聞』の経営者だった父の條野採菊と、父の友人であり、創作落語で人気を博した落語家の三遊亭圓朝による後押しがありました。圓朝とは、18歳の時に彼の野洲(現・栃木県)への取材旅行に同行し寝食をともにするなど、間近に接しました。
後に美人画の名手となる清方の美意識や画風の形成には、江戸の香りが色濃く残る明治の東京の風俗が強く影響しています。また、新しい時代の文化の担い手の一人である三遊亭圓朝の、創作への真摯な姿勢を目の当たりにしたことにも、大きく影響されました。そして、画家の道へと背中を押してくれた名落語家への感謝と敬愛は、昭和5年(1930)、52歳の時に描いた肖像画の傑作《三遊亭圓朝像》(重要文化財)に結実しました。
本特別展では、三遊亭圓朝の生誕180年を記念し、明治時代の寄席や芝居にまつわる作品や資料とともに、清方と落語家 三遊亭圓朝のかかわりをご紹介します。