日本美術院同人で艶麗な美人画で知られる北野恒富は、明治13年(1880)金沢に生まれました。「画家ハ都会ニアラネバ面白カラズ」と勧められ、18歳で大阪に出て稲野年恒に師事。華やかな美人画ポスターで認められるとともに、明治43年には第4回文展に初入選します。一方、大阪滞在中の横山大観に私淑し、再興となった院展でも大正3年(1914)の第1回展から活躍します。また地元大阪画壇の振興にも尽力し、野田九浦・菅楯彦らと大正美術会や大阪美術展覧会を設立。画塾白耀会では島成園・木谷千種・樋口富麻呂・中村真以など有力な後進を育成しました。
北野恒富の作品は、浪花情緒に溢れた美人画に代表されるといえます。しかし、それらは独特の粘りある感性と強い造形性で貫かれ、浪花情緒を越えた創作上の実験も試みられています。また、明治末・大正初期にはアール・ヌーヴォーなどの影響を受けて、「画壇の悪魔派」とされる退廃美を誇り、大正中期には古典学習も踏まえた内面性の表現を進化させました。さらに昭和初期になると、大阪の商家などを題材に、品格ある古典美をきわだたせ、谷崎潤一郎らとも親交を結んでその小説挿絵を多く手掛けました。
恒富は昭和22年に68歳で没しましたが、没後50年以上が過ぎた今日まで、大規模な回顧展は開かれていません。今回の展覧会では主要な展覧会の出品作を中心に、ポスター・素描・挿絵を含む約110点の作品で、その個性的な造形の世界を展望します。