「今の人は知らないだろうが、この時分*の中澤氏の出版文化の上の業績は著しいものだった。鑑賞者の心に泌々(しみじみ)と滲(し)み透(とお)る、詩歌的な、浪漫的な、その境地は何人も追随することの出来ない独自なものであった。」
*明治末~大正初年
鏑木清方「雑誌の絵について」『新小説』5巻4号(昭和25年4月)
中澤弘光(なかざわ ひろみつ・1874~1964)は、黒田清輝に師事し、東京美術学校卒業後、文部省美術展覧会(文展)にはじまる官設美術展覧会への出品を続けたほか、光風会、日本水彩画会、白日会等の創立に参加するなど、明治後半から昭和にかけ画壇の中心で活躍を続けた洋画家です。一方、文芸雑誌の表紙や口絵・挿絵、絵葉書のデザイン、金尾文淵堂(かなおぶんえんどう)が企画した豪華本の装釘など、おびただしい数の〈出版の美術〉も、その重要な足跡として決して見逃すことはできません。与謝野晶子の第一歌集『みだれ髪』(明治34年)に心打たれた中澤は、与謝野鉄幹主宰の雑誌『明星』に関わったのち、晶子の著書の装釘・挿絵を数多く手がけるなど、当時文芸界を席巻した浪漫主義的思潮に呼応し、印刷の世界に滋味豊かな画境を切り拓いていきます。そこにおいては、温泉地や名勝・霊場巡りなど、画題を求め年中旅の人となっていた中澤が各地で描き留めた無数のスケッチが、存分に力を発揮しました。
本展では、特に明治末から大正という中澤の円熟期とも言える時期に焦点を絞り、印刷物ならびにスケッチ等200点以上の貴重資料により、知る人ぞ知る、その〈出版の美術〉の仕事を振り返ります。
また、本テーマに関連の深い中澤の油彩画や水彩画、加えて、中澤旧蔵の師・黒田清輝筆《自画像》(明治35年)も、特別に展観いたします。