「喜多君の手が土に触れると生命なき土に生命が入るから妙だ。ただの土ではく生きたものになっている。」彫刻家喜多武四郎(1897-1970)を評した石井鶴三の言葉です。喜多は21歳で彫刻家を志し、戸張孤雁に指導を受け、戸張・石井・中原らが活躍する日本美術院を活動の場とします。
喜多はロダニズムに傾倒した荻原守衛、高村光太郎らが示した生命感を作品の根幹に捉えながらも、作風は一線を画し、大正後期から戦後にかけて人体塑像の新たな表現を展開して行きます。
「芸術において対象を描写することは対象の種々相を描写することではない。対象と私との生気の合縁を描写することが表現の第一義である」と喜多が述べるように、その作品は表面的な描写には捉われていません。細部を省略した造形から不思議と伝わる透明感は、喜多の生まれもった資質や、自然への優れた観照を感じさせます。戸張から彫刻における動勢を学び、立体造形を強く思考していた石井鶴三の影響もあって、構造への意識も高めていきました。
喜多作品の多くが周囲の空間へ広がってゆくように感じられるのは、純粋な芸術観をもつ喜多の優れた造形力と透明感によるものです。
本展では喜多武四郎の生誕120年を記念し、初期から晩年に至るまでの作品を展示して、その造形の軌跡をご覧いただきます。