大正期の関東大震災1923(大正12)年の前後に、日本の多くの若手画家たちが西洋絵画を学ぶためにフランスに渡りました。当時のパリではいわゆるエコール・ド・パリ(パリ派)と言われる芸術の潮流が全盛期で、一方フォーヴィスム(野獣派)と言われる画風が注目を浴びている時代でもありました。その自由な雰囲気の中で日本人画家たちは、20世紀の反自然主義的な近代絵画の画風を吸収して次々と帰国します。洋画団体1930年協会は1926(大正15)年に前田寛治、里見勝蔵、木下孝則、佐伯祐三、小島善太郎らの帰国後の作品発表の場として結成さらました。(会名はミレーやコローら、バルビゾン派の旧称「1830年派」に倣ったもの)その後、一般の作品も公募するようになるとその意欲的な活動に次々と会員が集り、当時の青年作家にも新鮮な刺激を与えました。しかし、佐伯、前田らの相次ぐ急死により同協会は、わずか数年の活動で解散します。そしてその潮流は、二科の里見勝蔵、児島善三郎、林重義、林武、川口軌外、小島善太郎、中山巍、鈴木亜夫、鈴木保徳、さらに春陽会の三好好太郎、国画会の高畠達四郎、フランスから帰国した伊藤廉、福沢一郎、清水登之らにより、1931(昭和6)年に「既存団体からの絶縁と新時代の美術の確立」を理念とした「独立美術協会」の創立に発展し、当時の洋画界を力強く牽引していく存在となりました。
本展では、2016(平成28)年に「1930年協会」が創立から90周年の節目を迎えるのを機に一時代を築いた二つの美術団体に改めて注目し、若き洋画家たちの秀作を一堂に紹介します。