朝井閑右衛門(あさいかんえもん 1901~1983)は、1926年の第13回二科展に初入選した後、光風会を中心に作品を発表しました。1936年の文部省美術展覧会には、練馬のアトリエ長屋で描いた群像の大作《丘の上》を発表し、文部大臣賞を受賞。一躍画壇の寵児となります。
敗戦後は、既成の画壇から距離をとりつつ、大河内信敬らと新樹会を結成。電線、薔薇、ガラス台鉢、ドン・キホーテ、道化、不動明王など同じモチーフを何度も繰りかえし描き、写実と空想の合間に独自の絵画世界を築きました。
古い種々の人形や壷など、朝井は作品のモチーフともなる気に入ったものを身近にたくさん置いていました。アトリエの造作にも強いこだわりを見せ、晩年を過ごした鎌倉市由比ガ浜のアトリエでは、毎日のように馴染みの大工や庭師を呼んでは、自分の気に入るように手を入れ続けたといいます。このアトリエについて、親しい友人であった詩人草野心平は「この家も、庭も、一木一草に至るまで、閑右衛門の仕事である。永く残すように」と語りました。
今回の展覧会では、初期から晩年まで、独自の地歩を築いた朝井の画業を紹介。あわせて、朝井の没後、遺族に守られ、今に残る鎌倉のアトリエを撮影した写真や、そこに蒐められたお気に入りの品々を展示しながら、彼の作品世界の原点をみつめます。