タイトル等
ジム・キャンベル展
Data & Time JIM CAMPBELL
会場
名古屋市美術館
会期
2002-10-27~2002-11-24
休催日
月曜日(11/4は開館し翌日休館)、10/28~30
開催時間
9:30~17:00。金曜日は20:00まで(入館は閉館の30分前まで)
観覧料
常設展と共通(大人300円、高大生200円、小中生無料)
主催者
駐名古屋米国領事館名古屋アメリカン・センター、名古屋市美術館
概要
キャンベルの作品は特に記憶に残り、時宜を得ている。(それは記憶と時間を扱っているからというだけの理由ではない。)彼の作品は科学と精神の境界を消してしまうデジタルに構成された芸術であり、しばしば独自の発明をも含んでいるが、自身のテクノロジーに耽るようなものではない。技術に洗練されているにもかかわらず、作品の外観は見る人を欺くほどに単純で近づきやすく、それは私たちが視覚的考証または科学的方法を連想するかもしれないという最初の分析的明快さを示唆しているようである。作品を経験することにより、最初の印象は徐々に失われてゆき、私たちは形而上学と認識論の領域に導かれる。

キャンベルのアプローチはボルヘスの「Of Exactitude in Science」に描かれる製図家のそれに似ている。ボルヘスの製図家は世界と同じくらい大きい地図を製作する。それが表すもの、つまり、地図が使われ朽ちていくことで象徴するものを伝えることは、そこに記載され測定されたものとの区別がつかない。キャンベルはこの物語の中核であるように思えるそのシミュレーションにそれほど心を奪われているわけではないが、彼は知覚、すなわち知るための言語基礎とつかまえどころのない意味の特質によって、動機づけられ駆り立てられている。彼の言語と測定のシステムは明白であるかもしれないが、それが伝え測るものはそうではない。認識は遅れ、洞察は延ばされる。疎らで美しいインスタレーションは、私たちを虚空であるよりも満たしてくれる、知らないという状態を引き起こす。

仏教の満たされた空である含蓄のある空虚が近作「Running,Falling-Cut」(2001年)では強く表現されている。ここでは活き活きとした姿が空虚、つまり点灯されていない発光ダイオードにより表現されている負の空間を通じて表れている。異なるペースで歩く上半身と下半身を見て、私たちは自らに追いつこうしている身体の道化のようなユーモアに反応する。しばらく観ていると、当初の印象がより実存的困惑へと変換していく。それは、シシフォスが味わったような人生が続く限り終わることのない苦闘である。「Running,Falling-Cut」は高揚した感情的で絵画的な激しさを発散するキャンベルの多数の新作 の中の一つの例である。

マレー・ホーン
ホームページ
http://www.art-museum.city.nagoya.jp/
展覧会問合せ先
名古屋市美術館Tel.052-212-0001
会場住所
〒460-0008
愛知県名古屋市中区栄2-17-25 [芸術と科学の杜・白川公園内]
交通案内
地下鉄東山線・鶴舞線「伏見」下車、5番出口から南へ徒歩8分
地下鉄鶴舞線「大須観音」下車、2番出口から北へ徒歩7分
地下鉄名城線「矢場町」下車、4番出口から西へ徒歩10分
ホームページ
http://www.art-museum.city.nagoya.jp
愛知県名古屋市中区栄2-17-25 [芸術と科学の杜・白川公園内]
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