徳川家康が全国を統一すると日本橋を中心に五街道が制定されました。特に東海道は江戸と京、大坂を結ぶ重要な軍事・商用の交通路であり、参勤交代で江戸と諸国を往来する大名行列もこの街道を使用しました。
時代を追うごとに各宿場は賑わい、東海道が徐々に整備されるとともに、江戸時代中期以降には「東海道名所記」(浅井了意作)、「東海道中膝栗毛」(十返舎一九作)などにより、江戸の庶民階層が旅に関心を持つようになりました。やがて東海道は浮世絵の画題となり、多くの絵師によって描かれました。
その最も有名なシリーズは、天保4年(1833)頃開板の歌川広重「東海道五拾三次之内」(保永堂、仙鶴堂合板)でしょう。
この度は歌川広重「東海道五拾三次之内」を中心に、当時の旅の風俗を紹介いたします。