高度経済成長まっただなかの1970(昭和45)年に開催された大阪万博(日本万国博覧会)は、6か月間の会期中に6,421万人が来場し、大きな成功をおさめた国民的な祭典として記憶されています。《太陽の塔》やごく一部のパビリオンを除いてほとんどが撤去された万博の跡地にはかつての面影はほとんどありませんが、近未来都市のモデルとして計画された万博会場は、デザインの可能性を探る実験場でもありました。1965(昭和40)年に大阪万博の開催が決まると、シンボルマークやポスターなどのプロモーション素材の制作がすすめられる一方で、会期中には一日50~60万人の観客が押し寄せてくることを想定し、色彩、サイン、サイトファニチャー、照明などに関する調査が行われ、デザイン計画が策定されました。さらにはパビリオンの展示設計などにもデザイナーが動員され、その可能性をさまざまなかたちで示しました。この展覧会では大阪万博を成功に導いたデザインワークを振り返り、構想から実施へといたるプロセスを追跡するとともに、デザイナーにとって万博とは何だったのか考えます。