”時間”のイメージはいつの間にか、左から右へ流れていく”タイムライン”のイメージが定番となっています。それは、TVドラマやCM、PV、映画などの結末に向かった時間軸のある”映像”の影響や、気軽に動画編集ができるようになったこと、さらには、twitterやFacebookなどのSNSの登場によって、一方向に流れていくタイムラインのイメージは強くなっているのではないでしょうか。”timeline”を一方向に流れる”川”に例えると、それに対して”timelake”という言葉が思い浮かびました。つまり、一方向の流れではなく”みずうみ”のように時間が溜まり、 あらゆる方向に流れ揺らぎながら混ざっていくような時間のあり方。”timelake”というテーマを設定し、映像と切り離せない時間を意識的に扱った、”時間のみずうみ”のような 新しい映像作品を集めパブリックスペース(日常空間)で上映することで、いつの間にかついてしまった(思い込んでいる)”時間”や”映像”のイメージを更新することはできないだろうか。 福田真知
timelake
タイムラインからタイムレイクへ。
いま、映像はみずうみである。蛇口をひねれば水がでるように、映像はテレビやPC、都市や公共(交通)空間の隅々まで溢れている。かつて映像は「映画」を意味し、特定の日時・場所で見るものだった。だが、いま映像は動画とも称され、PCやスマートフォンで視聴、投稿、編集し、美術館やギャラリーでは映像がループ上映される状況である。映像の終わりなき永劫回帰。かつて映画館やテレビが有した上映・放送の時間感覚は消え、映像の制作・視聴に始点も終点もなく、「The End」さえ出ないこともめずらしくない。さらに映像=時間はレコーダーやハードディスクにみずうみのようにためられ、プールされるのだ。
タイムレイクをコンセプトに掲げた本展は、映像=タイムラインという既成概念を塗り替えるだろう。さらに、このコンセプトは平面・立体作品にも適用されるという。なぜなら、タイムレイクは「みずうみ」というトポスを志向(思考)するからである。春の京都につかの間現れる「タイムレイク」は、映像を再考・再定義・更新する機会となることは間違いない。
平田剛志 (京都国立近代美術館研究補佐員)