赤瀬川原平(本名克彦 1937-2014)は、4歳から高校1年生の初めまで育った大分市で、美術グループ「新世紀群」で吉村益信らと出会いました。吉村の影響で1958年読売アンデパンダンに出品しはじめ、60年吉村、篠原有司男などと「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」結成に参加、63年には高松次郎、中西夏之と「ハイレッド・センター」の活動を開始し、「反芸術」を代表する前衛芸術家となりました。65年、《模型千円札》シリーズが通貨及証券模造取締法違反に問われた「千円札裁判」(~68年)では、法廷が「芸術とは何か」という論議の場となり、衆目を集めました。
68年頃からは、『櫻画報』などでパロディ漫画の旗手となり、文学の世界でも79年中央公論新人賞、81年芥川賞を受賞する等、頭角を現しました。
80年代以降は「超芸術トマソン」「路上観察学会」「ライカ同盟」等の活動で独自の写真表現を見出し、98年には「老化」をポジティブに捉えた『老人力』がベストセラーとなり、「老人力」は新語・流行語トップテンとなりました。
こうした活動のほかにも「縄文建築団」「日本美術応援団」など分野を超え、多種多様としか言いようのない幅広い活動で新たなメッセージを発信し続けてきました。
本展では、こうした赤瀬川の活動の全貌を初期作品から未完成となった《引伸機》まで作品・資料433点により紹介しています。