本展は、今年生誕120年を迎える染色家芹沢銈介の初期から晩年までの作品を通し、芹沢銈介の創造の世界を紹介するものです。
芹沢銈介(1895-1984)は、静岡県静岡市の呉服太物卸商の家に生まれました。1916年、東京高等工業学校図案科を卒業後、静岡県立静岡工業試験場等で図案指導の職につきますが、「図案という空なものでなく具体的な“物”に自分を見出したい」と実作への思いを持ち始めます。
作家への道を模索していた芹沢にとって、当館創設者の柳宗悦(1889-1961)との出会いが大きな転機となりました。1927年春、芹沢は朝鮮へ向かう船中で柳の著した『工藝の道』を読み、「工藝の本道初めて眼前に拓けし」と深い感銘を受けます。そして、翌年、上野の御大礼記念国産振興博覧会に柳らが出品した「民藝館」において、沖縄紅型の風呂敷を見た芹沢は、その色と模様に強い感動を受け、型染を生涯の仕事と志すことになったのです。
また芹沢は、柳の依頼によって雑誌『工藝』の表紙装丁を1931年の創刊号から12号分、1号につき500部以上を型染で手がけます。型染を始めてまだ間もない芹沢にとってこの経験が数ものへの道を開き、将来500冊近く手掛ける本の装丁の仕事へと結びつきました。
1939年4月、芹沢は柳ら民藝協会の同人達と沖縄へ渡ります。そして当時沖縄で、紅型の伝統をわずかにつないでいた職人、瀬名波良持と知念績秀から伝統的な紅型の手法を学びます。この59日間にわたる沖縄滞在の経験が、芹沢の「いわば私の仕事の故郷」「全く私の竜宮」と回想する沖縄の原風景となり、終生紅型に憧れ続けた芹沢の仕事の礎となりました。
戦後は、不足した布地の代わりに和紙を用いる「染紙」という新しい試みにより、芹沢作品が広く人々の間に普及しました。蒲田に十分な仕事場を得た後は、「沖縄笠団扇文部屋着」等の代表作を次々と発表。世の中を明るく照らすかのような作品は、国内及び海外から高く評価され、1956年4月、図案から型彫、染までを一貫して行う「型絵染 (かたえぞめ)」で重要無形文化財保持者に認定されました。
本展では芹沢作品の理解を深めるために、芹沢が筆で直に描いた肉筆作品と、静岡市立芹沢銈介美術館で所蔵する芹沢の蒐集品を併せて展示します。
芹沢は植物や風景、蒐集品などを対象に、始終膨大な数のスケッチを欠かさず、それが作品を作る上での根本的な力でありました。それらスケッチや作品の下絵を含む肉筆画、絵付陶器、ガラス絵など「型」を通さない作品からは芹沢の生の芸術性を見ることができます。
そして、芹沢が自ら「もうひとつの創造」と呼んだ蒐集品は20代の小絵馬から始まり、染織・陶磁など様々な分野、あらゆる国々へと広がり、その数は戦後だけでも約6000点に及びました。芹沢の確かな選択による蒐集品は、柳や陶芸家の濱田庄司からも高く評価され、当館にも芹沢旧蔵の作品が数多く寄贈されています。
このように、写生によって培われた優れた描写力と、ものの美しさを的確にとらえる鋭いまなざしから生まれた芹沢作品は、自由闊達に観る人の心をとらえています。芹沢は、工芸による「美の生活化」を目指した柳の民芸論を実践し得た稀有な作家の一人と言えるでしょう。