人は人に何かを提供しようとする時、たいていの場合、与え過ぎるか、さもなくば与え足りない。そして何かと理由をつけては続行される。が、与えられる側は、その過剰か不足のどちらか一方だけの記憶と感覚を蓄積する。ここの作品群に満ちる母の「愛」の過剰と、それゆえの緊縛、安穏、息苦しさ。
作者に与える側への反転が起きる。他者/母に向かって溢れる食べ物/花。子は与えることの過剰を知る。母も自らの行為を映像として見るだろう。これは、母と子を「汝が為す」行為の覚知へと導く。ふたりの間の長なす。この映像は引き締まり、そして、おかしみも漂わせる。
食物とは何か。無名で繰り返し生まれるゆえに不死。それを日々食らい続け、母子はその都度の不死を手に入れる。そして与え/与えられる過不足は背景へとしりぞく。