長谷川等伯は室町時代の末、能登国七尾に生まれ、すでに20歳代には信春の名で絵仏師として活躍していました。その頃すでに京都を往来し、30歳代中頃には正式に京都へ移住したと考えられています。上洛後は長谷川一派を率い、画壇の実力者・狩野派に対抗して豊臣秀吉や大寺院の仕事をこなして活躍しました。
近年、等伯の評価と人気はますます高まっています。その理由の一つとして、「多彩な画業」が挙げられるでしょう。等伯は仏画・肖像画・動物画・山水画、着色画・金碧画・水墨画と、何でも描いたし、何でも描けた絵師でした。
シリーズ19回目となる今回は、4つのテーマで、多彩な画業とその魅力を紹介します。
《天才絵仏師・信春》
能登時代、絵仏師として活動していた等伯。緻密な描写と豊かな色彩による作品は見事です。作品からは、並外れた技量を兼ね備えていたことが分かります。
《巧みなる肖像画》
上洛後、錚々たる人脈を得ていった等伯は、それに伴い武将や高僧などの肖像画も描きました。展示は2点のみですが、描かれた像主は人柄まで伝わってくるようです。
《華麗なる金碧画》
桃山の栄華を彷彿とさせる金碧障屏画。時代の好みを反映しつつ、狩野派とは異なる独自の表現で描き、人気の画題「柳橋水車図屏風」も誕生しました。
《様々な墨の表情》
晩年の等伯は水墨画に美の境地を求めていきました。様々な筆を自由自在に使い、絶妙な墨の濃淡で表された世界は、観る者を惹きつけます。