晩年の會津八一は、人生という旅の集大成として、地元新潟で文化振興を図る決断をしています。各地で講演をしたり、書を揮毫したりするなどの足跡を残していますが、昭和26年(1951) 9月に訪れた新潟県高田市 (現上越市) で、若手陶芸家と出会い、芸術表現の大きな挑戦を試みています。陶芸家齋藤三郎 (1913~1981) の陶器に文字を書き入れた「書入陶器」です。
新潟県栃尾町(現長岡市)出身の齋藤は、陶齋と号し、富本憲吉、近藤悠三に学び、戦後は高田で、親しみある色絵、端正な白磁など、多彩な作品を生み出しました。また、高田の文化振興や教育の中心的人物として、詩人堀口大學、画家小杉放庵、写真家濱谷浩、醗酵学者坂口謹一郎、板画家棟方志功らと交流しています。
八一は、齋藤に「泥裏珠光」の号を与え、窯に約1年間に3度も訪れました。また、書入陶器の成果を発表するため、昭和27年(1952)には東京の壷中居で展覧会も開催しています。本年、生誕百年となる齋藤三郎と、會津八一の親交と制作、さらに戦後新潟の「疎開文化」を彩る芸術家らの姿をご紹介します。
また、本展では、奈良をはじめとする旅で詠んだ短歌やスナップ写真、写真家小林新一が八一の旅をテーマに撮影した写真も展示します。