しもだて美術館は11月1日に開館10周年を迎えます。これを記念し、茨城県ゆかりの日本藝術院会員および日本藝術院賞受賞作家作品を一堂に会した展覧会「茨城の巨匠―日本藝術院の作家たち―」を開催します。
1919(大正8)年、芸術上の功績顕著な芸術家を顕彰する栄誉機関として、帝国美術院が創設されました。その後、政情不安も相俟って1937(昭和12)年に美術部門会員50名に文学・音楽・演劇などの会員を新たに任命して総数80名とする帝国藝術院に改組されました。そして戦後に、新憲法の施行に伴い、昭和22年12月、名称を変更し、現在の日本藝術院へと至ります。
我が国が世界に誇る水戸市出身の日本画家横山大観(1868~1958)、同じく珠玉の作品を生み出し、陶芸を芸術の域にまで高めた当筑西市出身の陶芸家板谷波山(1872~1963)は、日本藝術院に大きな足跡を残したばかりでなく、それぞれの分野で初の文化勲章を受章しました。文化勲章は1937(昭和12)年に第1回の授章式が行われ、横山大観は、日本画家竹内栖鳳(1864~1942)、洋画家岡田三郎助(1869~1939)、藤島武二(1867~1943)等と共に、栄えある初の受章者となりました。板谷波山は、それより16年の後、1953(昭和28)年第11回の授章式にて、鋳金家の香取秀真(1874~1954)と共に、工芸部門では初の文化勲章を受章しましたが、陶芸ひいては工芸が芸術として確固たる地位を確立するには、それほどまでの年月と努力を要したとも言えます。
また、同じく当筑西市出身の洋画家森田茂(1907~2009)も、日本人独特の世界観を油彩画で表現し、イタリアやアラブ諸国など海外でも高い評価を得ました。厚塗りの油彩は、他者を寄せつけぬほどの迫力を有し、その色彩には、徹底した探究による、一片の無駄もない磨き抜かれた高い感性が認められます。1976(昭和51)年に日本藝術院会員に就任、1993(平成5)年文化勲章を受章しました。この豊かな田園風景広がる筑西市に二人もの文化勲章受章者が生まれたことは、郷士の誇りです。更に、これほどまでに優れた芸術家が茨城と関わり、独自の芸術を育んでいったことは、全国的にみても稀なことと言えるでしょう。
日本藝術院はまた、優れた作品を制作した者に対し恩賜賞ならびに日本藝術院賞を授与しています。受賞者が必ずしも日本藝術院会員に就任できるとは限りません。しかしながら受賞は大変な栄誉です。筑西市出身の書家浅香鉄心(1926~1997)も、1988(昭和63)年に日本藝術院賞を受賞した作家です。絵画的とも評されるその作品は、人の心に深く静かに、そして時には強く響いてきます。
本展では、日本藝術院のご協力により21作家の作品をご紹介します。いずれも「茨城の巨匠」の名に相応しい名品揃いですが、とりわけ、板谷波山他、漆芸家赤塚自得(1871~1936)、香取秀真、陶芸家清水六兵衛(六和)(1875~1959)との総合作「臺子飾壹揃」(1934(昭和9)年)は、当時、帝展に出品される前に、我が国の名だたる工芸家4名が日本藝術院会員として、日本藝術院に寄贈した茶器一式であり、日本的伝統に芸術的創意を凝らした作品であり注目されます。また、日本藝術院創立時に会員となった稲敷市出身の松本楓湖(1840~1923)の名作「蒙古襲来図」(茨城県立歴史館蔵)は、会期前期のみの展示となりますのでご注意ください。観る人の心によって色彩の印象が変化する横山大観記念館蔵の「霊峰飛鶴」も見逃せない名作です。
また本年は、板谷波山没後50年の節目の年でもあります。展示室Ⅰでは、下館・時の会との共催により「波山 鳩杖 八十年」と題し、波山と故郷との関わりをご紹介します。開館10周年記念式典でも、板谷波山記念館蔵の波山の尺八「さを鹿」にちなんだ名曲「鹿の遠音」をご披露いたします。
ぜひ、関連行事にも足をお運びください。