東京オリンピックは、日本の戦後史の重要イベントとして記憶されています。オリンピックとはいうまでもなくスポーツの祭典ですが、1964(昭和39)年に開催された東京オリンピックは、第二次世界大戦で大きな打撃を受けた日本が、その終結からおよそ20年を経て、奇跡的な経済復興を成し遂げたことを国際社会に示す、日本の威信をかけた国家イベントであり、戦後日本のデザイナーが総力を挙げて取り組んだ一大デザインプロジェクトでもありました。
東京でのオリンピック開催が決定すると、1960年には「デザイン懇談会」が組織され、まずデザインポリシーが決められました。そして、デザイン評論家勝見勝の指揮のもと、シンボルマークとポスターを亀倉雄策、入場券および表彰状を原弘、識章バッジを河野鷹思、聖火リレーのトーチを柳宗理が担当したほか、田中一光をはじめとする当時の若手デザイナーたちが施設案内のためのピクトグラム、プログラムや会場案内図などの制作に組織的に取り組みました。その一連のデザインワークはその後の国際イベントのモデルともなり、国民はオリンピックを通じてデザインの力を身近に感じることになったのです。
2020年のオリンピック招致にむけた機運が高まるいま、あらためて1964年の東京オリンピックを振り返り、一連のデザインワークの全体像を追跡します。