ピサロと印象派
ピサロは、風景画を得意とした印象派の画家の一人です。印象派の画家には、女性を美しく描いたルノワール、「光の画家」と呼ばれるモネ、同じく風景画を得意としたセザンヌやシスレーなどがいますが、ピサロは最年長だったため、無数の枝葉の中の動かぬ幹のように、しっかりと印象派の美学を支えつづけた揺るぎのない存在でした。また、数多くの画家たちがピサロの考えを分かち合い、彼を慕っていたことは、よく知られています。
この展覧会は、ピサロの交友関係とともに、その生涯と制作をふりかえり、印象派そのものについて、そして彼が描いた「自然」について、あらためて考えてみようとするものです。
ピサロの生い立ち
ピサロは、今から約180年前の1830年、カリブ海のセント・トーマス島に生まれました。父親が貿易商人だったため、最初は父の下で働きながら、港での仕事の合間に画帳に素描をしていたといいます。しかし彼の父はそれをよくは思っていませんでした。それゆえ彼は1852年、22歳のとき、絵を描くためにひそかに家出をしたのです。それからの数年間は、カリブ海の島々で、原住民の生活や榔子の木のある風景などを描き、1855年、芸術の都パリに出ました。
パリで彼は、同じ名前の画家のコローらに学び、やがては「印象派」の中心的な存在になります。印象派の展覧会は1874年に第1回展が開催され、1886年までの13年間に断続的に合計8回開催されますが、毎回欠かさず出品しつづけ、辛抱強く印象派を支えつづけた画家は、実はピサロただ一人しかいませんでした。だからこそ彼は、印象派の立場を印象主義として次のように説明することができたのです。「本物の印象主義とは、客観的観察の唯一純粋な理論となり得る。それは、夢を、自由を、崇高さを、さらには芸術を偉大にするいっさいを失わず、人々を青白く呆然とさせ、安易に感傷に耽らせる誇張を持たない」と。この言葉は、彼のまなざしに、彼のカンヴァスの色と形に、静かに結晶しています。
展覧会の見どころ
ピサロは最初、コロー、クールベ、ドービニーなどの巨匠たちの作品に学び、やがて印象派の画風を確立しました。そして今度はそれを、セザンヌやゴーガンなどの若い画家たちに分け与えつつ、自らも彼らから多くを吸収しました。また、晩年になるにつれ、もはや画風ではなく、精神な部分で若い画家たちと考えを一つにするようにもなりました。今回の展覧会では、他の画家たちとピサロが何を分かち合っていたのか、という点が見どころの一つとなっています。