冷泉為恭(れいぜい ためちか)(1823~1864)は、幕末の京都に生まれた画家です。京狩野9代目の狩野永岳(かのうえいがく)の甥という出自でありながら、当時の狩野派がもつ旧態依然とした画風に飽きたらず、その志を古典的やまと絵の復興を目指す「復古やまと絵派」に置きました。この一派でもっとも本格的な作画を行った為恭は、上代絵画にその作意を求めるとともに、時代にあった新たなやまと絵を創造したのです。
もともと朝廷の強い後盾があって発展してきたやまと絵は、平安貴族を意識した行事、歴史、文学、有職故実に因んだ主題が多く選ばれてきました。京都という土地に生まれ育った為恭は、平安朝の世界に強い憧れを抱き、その名前や身分をも手に入れることによって、王朝文化にのめり込むと同時にそれを画業の肥やしとしました。描かれた作品はやまと絵本来の特質をいかした典雅な趣を湛えています。
また為恭は岡崎に深い関わりを持った画家です。安政2年(1855)正月に大火にあった松平・徳川家の菩提寺である大樹寺は、その再建に際し、寺独自で大方丈・本堂を飾る絵を為恭に依頼したのです。為恭は安政4年5月から約4ヶ月で障壁画など145面を完成させました。描かれた作品はやまと絵のみならず、漢画を含めた為恭の力量が存分に発揮されたものです。中でも重要文化財に指定されている上段之間の≪円融院天皇子日遊之図≫、下段之間の≪三条左大臣実房公茸狩之図≫は、為恭絵画の頂点を成したものといえます。
今回の展覧会は、全国から門外不出の逸品約50点と、再建当時の大樹寺大方丈を飾った障壁画など約100点を合わせて展示し、冷泉為恭の画業を概観します。