1922年(大正11)、網走に北海道庁立網走中学校(現・網走南ヶ丘高等学校)が創立された。10学級、職員19名の新しい学校だった。この学校は地元の名士であった遠藤熊吉氏が私財を投じて校舎を寄付して建てられた。当時注目を集めたこの学校では「文武両道」を目指し、学習と同時に各種の運動部や文化部の活動が盛んに行われた。そのなかで美術教師である須貝燐太郎や角田友弥(星湖)の指導のもと『白洋画会』と呼ばれる美術部も創立され、その第1期生には後に光風会、日展で活躍する高橋道雄、第2期生には道展、日本水彩画会で活躍する納直次の若き姿があった。